ひとりの物からみんなの物へ

 第99代皇帝即位式が執り行われた。
 困惑と嫌悪と恐怖が綯い交ぜになった会場で、ルルーシュは動揺を見せること無く淡々と手順どおりに儀式を執り行っていった。そして皇帝となるとすぐに、ナイトオブゼロの任命を行う。スザクがルルーシュの前に跪き、瞳を伏せる。会場の嫌悪がより一層強まったが、主役たちは意に介していなかった。
 ルルーシュの手の平が癖のある茶色い髪の上にかざされた。
 この瞬間、ナイトオブワンの更に上を行く、ナイトオブゼロという騎士が誕生した。
 誰も物音を立てない。誰も身動きをしない。現実ではないような、切り取られた絵画の光景がそこにはあった。
 それが現実に戻ったのは、一人の拍手だった。
 音の出所はルルーシュの忠臣ジェレミア・ゴットバルト。
 本来なら、あの場で跪いているのは彼のはずだった。
 現在皇帝自らの手で執り行われている儀式は元々はナイトオブワンを任命するものなのだ。しかし、ナイトオブワンたるジェレミアは観衆の一部として儀式を見守っている。既存の権力を一掃し、伝統を汚し、すべてを壊す。
 ルルーシュらしい発想の、パフォーマンスである。
 その策略で、ジェレミアの夢は犠牲となった。
 しかし、彼は口元に笑みを浮かべている。手と手を打ち付ける仕草に淀みは一切なく、まっすぐに正面の主を見据えていた。どこを見ても、憤怒ややるせなさなとは窺えない。
 彼は心から、ナイトオブゼロの誕生を祝福していた。
 会場に彼の拍手だけが響く。

 その夜。充てがわれた部屋にて、ジェレミアは部屋着に着替えていた。
 最早、ルルーシュは皇帝となった。彼ほどのものが不寝番をする必要もなくなったのだ。
 ギアスを掛ければ、見張りの兵士は死んでも尚彼のことを守ろうとするだろう。
 こうして、ジェレミアの以前の仕事は少しずつ減っていく。
 虫の鳴き声すら聞こえぬ静寂もあり、段々と彼の気持ちが萎縮していく。
 そんな時、扉を叩く音が聞こえた。二度叩き、僅かに時間を置いて更に一度叩く。符牒だ。
 足早に扉に向かう。先ほどまでの負の気分は霧散していた。
「どうぞ」
 僅かに開けた扉から、ほっそりとした体が滑りこむ。それを確認し、すぐさま扉を締めた。
 深夜の来客は口を開かず、一目散にベッドへと向かう。そして部屋主の許可を得ること無く、勝手に腰掛けた。それで何も問題はない。彼は、部屋主の主なのだから。
「今日は」
 ルルーシュの後を追い、ジェレミアもベッドへ向かう。しかし、隣に座ることは出来ずにただ棒のように立っていた。ジロリと睨みつけられたが、主の許可もなくては不可能だ。結局ルルーシュが折れ、苛立たしげに彼の隣を手のひらで叩いて示される。
 失礼します、と声をかけてからジェレミアが腰掛ける。すぐ隣に座る主に響かせぬ丁寧な仕草だった。横目で確認していたルルーシュが、一言呟いたきり閉ざした口を再度開く。
「流石に疲れた」
 彼にしては珍しく、口が重い。普段なら二言三言、言葉が続いて出るのだが。ジェレミアはルルーシュの心労を察した。99代皇帝の座というのはそれほどまでに重いのだろう。
「とても荘厳で、立派でございました陛下」
「嬉しくはない言葉だな」
 そのまま上体を倒し、ベッドに寝そべってしまう。体中の力を抜いたのか、ぐったりとしていた。
 先ほどの言葉は嘘でないのだろう。目を瞑り、眉間に寄った皺から披露が色濃く窺い知れた。
「陛下、お疲れでしたら早く部屋に戻られた方が宜しいのではないでしょうか」
 ゆっくりとまぶたが開かれる。段々と姿を表す紫の瞳が怪しく煌めいていると、ジェレミアには感じた。
「俺が、ここに居たいからいるんだ。お前が口を出すな」
「Yes,Your majesty.」
 主に命令されれれば、従うのが本能というものだ。それきりジェレミアは口を噤む。ルルーシュは再度瞳を閉ざしてしまう。
 そしてどれほど経っただろうか。あまりに続く沈黙に、寝入ってしまったのかと思うほどには時間が過ぎた。
「もう、お前だけの"陛下"では無くなってしまったのだな」
 消え入りそうな囁き声だった。
「だが、それも少しの間だ。すぐにお前だけの陛下に戻る」

「そう、すぐにもな……。俺の在位期間などたかが知れている」

 右腕がジェレミアに向かって伸ばされる。その意図を汲み、ジェレミアは主の上に覆いかぶさった。
 すでにルルーシュの目は開かれていた。その瞳に映る自分の姿を、しっかりと確認できるまで二人の距離は近づく。
「ジェレミア・ゴットバルト、俺の騎士。俺だけの騎士」
 先ほど伸ばされた右手が、ジェレミアの左頬を撫でる。ひんやりとして冷たい、けれど血の通った指先だった。
「Yes,Your majesty.私はあなただけの騎士です。最後の主はルルーシュ様あなたです。最期まで私はあなたの騎士でありましょう」
 ああ、と漏れた囁きは吐息だったのか、ため息だったのか、はたまた声にならぬ歓喜の表れだったのか。ジェレミアには判断がつかなかった。しかし、どれであったとしてもその後に主がなんと言うのか知りたくなかった。
 ルルーシュの右腕を掴み取る。少しの力を込めて、ベッドに横たわる彼の顔の横に抑えつける。
 彼は何も口に出さず、目をゆっくりと閉じた。

 顔を下げながら、今からする口づけはいつ以来であったのかと他愛ない考えが脳裏に浮かんだ。そして、最後から数えて何度目のものになるのだろうかとも。いや、何も考えまい。
 思考を振り切るため、ジェレミアもまぶたを閉じる。
 唇に柔らかい感触を覚えたのは、ほぼ同時のことだった。
Written by BAN 0208 12

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