he is his Valentine!!

 冬の寒さは、半分だけが機械化したジェレミアの身にはたまらなく堪えるものだった。機械部は氷のような冷たさになり、接合部は常に凍傷の危機を抱えている。
 出来るだけ身体を冷やさぬようにと、カイロを巻きつけて出かけたジェレミアが、ルルーシュと住む家に戻ってきたのも、家を出てからさほど時間は経っていなかった。
「ただ今戻りましたー」
 扉一枚隔てただけで、寒さが大分和らぐ。首を竦めながら、リビングへ続く扉を開くと、暖かい空気が肌を包む。
「おかえりジェレミア。寒かっただろう」
「ええ。今年の寒さは厳しいですね」
 ソファに座って、紅茶を嗜んでいたルルーシュが立ち上がってジェレミアを迎える。机の上に置かれたカップからは湯気が立っていて、実に温かそうだった。その視線に気づいたのだろう、机の上のカップを取るとジェレミアに差し出す。
「先程入れたばかりだ。温まるぞ」
「えっ」
「ああ、そうか。すまない、飲み掛けは嫌だよな」
 新しく出そうと台所に向かうルルーシュをジェレミアは慌てて引き止めた。食事のマナーがしっかりしているルルーシュは、自分の食べているものを他人に分けようとしない。つまり、ジェレミアにとって間接的キス機会はほぼ皆無なのだ。予想外の振りに戸惑って万に一回のチャンスを逃すところだったと、背を向けたルルーシュの腕を掴む。
「いえ、そんなことないです! 全然大丈夫です! いただきますとも!」
「それほど慌てなくても、すぐに入れたというのに」
 呆れたように鼻を鳴らすルルーシュをよそに、ジェレミアは紅茶を堪能する。
 これが、ルルーシュ様の用意された紅茶! ルルーシュ自ら用意され、そして口をつけたものを、私が! この私が不躾にも口をつけようと……ああ、なんたる不忠! しかし、この湧き上がる情念を前にしては、私は……くっ、なんと志の弱い人間だろうか!
「ジェレミア、それを飲み終わったらこっちに来てもらえるか」
「……! はい、ただいま!」
 ルルーシュからの仰せとあれば、いつまでも紅茶に構ってもいられない。間接キスは確かに魅力的だが、ルルーシュの方がより魅力的なのだから。
 白い湯気が立っていようが構うこと無く一息で飲み干すと、喉が燃えるような疼きを覚えた。それを我慢してカップをソーサーの上に置き、ルルーシュの立つ台所へと向かう。

 ゴソゴソと調理器具を用意していたルルーシュは、ジェレミアが自分の横に来たことを認めると、目を眇めて笑顔を浮かべた。
「すまないが、ちょっと手伝って欲しいことがあってだな。いいか?」
「はい、喜んで!」
「じゃあまずはそこの板チョコを刻んでくれるか?」
「了解しました!」
 作業台の上に用意されていたまな板には、両手の平に収まりそうな大きさの板状のチョコレートがあった。今日はお菓子を作られるのだろうかと、これの使い道をなんとなく考えながら包丁を手に取る。左手をチョコの上に置いて支え、右手で包丁を動かす。意外とチョコは硬く、刻むのにもなかなかのコツがいる。割れ目に沿って切っていたところ、「俺は、刻めといったはずだが? これの状態をお前の中では刻むというのか?」
という手厳しいお言葉を頂戴してしまったがために、少しずつ包丁をずらしながら細かくチョコレートを刻む。
 その様子を背伸びしながら背後から伺っていたルルーシュは、特に問題ないと判断すると、鍋に水を張り火にかけた。火の強さはほたる火だ。その水から湯気が出始めた頃に、ようやくジェレミアは全てのチョコを刻み終えた。いくつか大きい塊もあるが、これくらいなら、とルルーシュは許容した。
「じゃあ次はこれを湯煎にかけてくれ」
「……湯煎、ですか」
「ああ、湯煎だ」
「……あの、湯煎ってなんでしょうか」
 その言葉に、ルルーシュは目を見開いてジェレミアを見遣った。まるで夜に幽霊を見たような表情だ。いくらなんでもその表情は少し傷つきます、とジェレミアの目が潤む。
「そのチョコを、このボウルに入れて、このボウルを、この鍋の中に入れる。直接火に掛けるのではなく、間接的に温めて溶かす。それが湯煎だ」
「はい、わかりました!」
「あ、ちょっと待て。……いいぞ、鍋に入れろ。そうだ、全部はボウルに入れるな。幾らか残しておけ」
「はいっ!」
 ルルーシュは水温計を鍋の中に挿し込み、適温であると確かめてから、ジェレミアへ許可を出した。ジェレミアはまな板の上のチョコを半分程度ボウルに入れ、それを鍋へと移す。何故か用意された鍋はボウルよりも小振りなために、ボウルの底近くしか温められない。しかしそれでも、茶色い固まりはじんわりと形を失って液体へと変化していく。その様子をただ眺めていたがそれだけでいいのかとふと不安になり、横に立つルルーシュを伺うと、また水温計を取り出していた。この御方は温度を測るのが実に好きなのだなぁ。
 今度は湯煎にかけたばかりのチョコレートへと差し込む。横目で伺えば、眉根を寄せながら数値を読んでいるルルーシュは微動だにしない。目を細めて真剣に水温計を睨みつけていた。
「よし、いいぞ。鍋から下ろして、残りのチョコを全部入れろ。」
 指示に従い、ボウルにチョコを全て入れている間、ルルーシュは氷水を張った深めのボウルを用意する。そしてこの上に、チョコの入ったボウルを乗せるようにと命じた。ジェレミアは思う、このボウルにはなりたくないものだと。熱せられたり冷やされたりと、全く息の付く隙がないではないか。
 ゴムベラを押し付けられて、ああ混ぜる必要があるのかと思い至り、ジェレミアはチョコが泡立たんばかりに腕を動かし始めた。しかしチョコレートを2,3回混ぜ合わせただけですぐに止められてしまった。
「おい、空気を入れるな! もっと静かに、滑らかに混ぜろ」
「はぁ……」
 声を荒らげるルルーシュに逆らう利点は全くない。腕の回転速を先程より極めてゆっくりに落とした。しかしどうにも腑に落ちないことがある。一度はその不満を飲み込んだジェレミアだったが、ただ混ぜるだけの単調な作業が続いたせいで、つい口を出てしまった。
「あの、これお手伝いなんですよね?」
 ルルーシュはギロリと睨みつける。さも当然のことを何故尋ねるのだ、と言わんばかりの目付きである。その視線にジェレミアは少々怯んだけれど、うっかりと続きを漏らしてしまった。
「殆ど私が作っていませんか?」
「口は出しているぞ」
 それは、ジェレミアの言い分を認めたようなものである。かといって、ジェレミアがルルーシュから頼まれた作業を放棄することなど出来もしないので、内心ため息を付きつつ、ただただ腕を動かし続ける。
 再度ルルーシュが温度計を見ては、湯煎に戻すように命じ、しかし長く付け過ぎるなと怒られてはまた鍋から下ろし、ひたすら混ぜてはまたルルーシュが温度を確かめる。その作業を何度か繰り返すうちに、ルルーシュが何故これほどまでに温度にこだわったのかがわかってきた。次第にチョコレートの表面が見事に艶だっていき、ゴムベラで混ぜる感触も滑らかなものになっていくのである。
 さすがはルルーシュ様、チョコレート一つとっても妥協はないのですね! とジェレミアを感動させていることなど露知らず、ルルーシュはまたもやチョコレートに水温計を差し込んでいる。
「よしいいぞ。もう止めろ」
「はい!」
「あとは、この型に流して冷蔵庫に入れておけ」
 ルルーシュはテキパキと水温計を片すと、元いたリビングへと戻っていった。台所に残されたのは、見事にテンパリングされたチョコレートと洗い物の山、そして呆然と立ち尽くすジェレミアだけだった。あれ、最後まで手伝ってくれないのですかルルーシュ様。先程、テンパリングへのこだわりに感動しただけに、肩透かしを食らったショックは大きかった。
 カウンター越しにリビングを覗けば、ルルーシュは一時間程前にジェレミアが飲み干してしまったカップに、ポットから紅茶を注いでいるところだった。すっかり冷め切って渋みも出ているだろうに、あんなもの飲むなど。主の貧乏性を憎みながら、手早くチョコレートを型に注いで冷蔵庫に入れてしまうと、新しいポットを食器棚から取り出した。ケトルに水を張り、一刻も早く沸き上がるようにと強火でコンロにかけた。

 新しく入れた紅茶を、これまた新しく用意したカップに注いでルルーシュに給仕すると、それはそれはとても素晴らしい笑顔でお褒めの言葉を頂いた。「気が利くじゃないか」という一言に、ジェレミアは天にも昇る心地だった。
 ルルーシュが口を付けていた紅茶(やはり相当渋かったのだろうか、口をつけた様子があるのに嵩が全く減っていない)を代わりに受け取り、流しに捨てようと席を立とうとしたら、引き止められた。
「捨てるのも勿体ないし、お前が飲め」
 幼い頃、戦時下の日本で過ごしたことはこれほどまでに食に意地汚いトラウマを残されたのかと思わず涙が滲みそうになったジェレミアは、勿論頂きますと直ぐ様とって返してソファに腰掛け、勢いよくカップを傾けようとしたところで、そういえばこれもまた間接キスになるのかとはたと気づいて、固まってしまった。
 その一連の動作を、ルルーシュが温かい紅茶を嗜みながら楽しそうに眺めていた。

 一時間後。
 紅茶を飲もうか飲むまいかとジェレミアが逡巡している様子を十分に堪能したルルーシュに促されるまで、ジェレミアは紅茶を飲むことが出来なかった。彼が固まって結構な時間が経ってから、ルルーシュが声を掛けたので、当初の一時間はあっという間に過ぎていた。
「おい、そろそろ時間だぞ。取ってこい」
「はぁ……」
 どこか弾んだ様子のルルーシュとは裏腹に、ジェレミアの声は重い。この一時間の気苦労のためだ。自分の行動を見て暇をつぶすために紅茶を勧められたのだと気がついたのは、口角を吊り上げて満足そうに笑っていた主の顔を見たからだった。
 どうせこのチョコレートも、何かの暇つぶしなのだろうと、意気消沈しながら台所へと向かう。冷蔵庫から型を取り出して見れば、うまく固まっているようだった。爪の裏で触ってみれば硬質な音がした。
 器を用意して、その上で型を捻る。捻られた型は、チョコを次々に吐き出す。ガラガラと音を立てて、チョコが器の中へと吸い込まれた。
 用が済んだ型を流しに入れて、器を主の元へと届ける。洗い物の山は、今は気にしないことにした。
 机の上に置けば、興味深々といった具合に早速ルルーシュが一つ手に取る。カリリと音を立てて、彼の歯で砕かれ、口内へと消えていく。頬が緩んでおり、味に問題はなさそうだ。
 では自分も一つ、と手を伸ばしたところ、器が思い切り遠ざけられた。思わずルルーシュを伺えば、鼻で笑い飛ばされてしまった。
「これは全部俺が貰う」
「私も作ったのですが……。それにこれ全部食べるには、いささか量が多いかと」
「いいんだ。とにかく、俺が全部食べるから」
 仮にも元皇族ともあろう方がこうまで意地汚いとなると、とっくに死んでいるけれども、彼ら兄妹を日本へと追いやった98代皇帝が今さらながらに憎たらしくてしょうがない。かつての純血派にはあるまじき気持ちである。しかし、ルルーシュは意味ありげに含み笑いをする。
「来年はお前が自主的に作れ。その代わり来月は俺が直々に作ってやるから」
 来月、何かあっただろうかと思いリビングに飾ってあったカレンダーに目をやった。来月は3月。今月が2月で、……チョコレート?
「あの、それって……」
 困惑したように、恐る恐る声を掛けるジェレミアに対して、ルルーシュはまた一つチョコを齧りながら素っ気なく告げた。
「察しの悪い男はモテないぞ、ジェレミア卿」

――he is his valentine!!


※ valentine [名]
1 バレンタインカード(valentine card);バレンタインの贈り物:聖バレンタインの祭日に通例, 匿名で贈る. ⇒SAINT VALENTINE'S DAY
2 この祭日に選ばれる恋人;(一般に)恋人.
――goo辞書より
Written by BAN 0217 11

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