雷鳴轟く
アーニャがナナリー様に呼ばれて出かけると天候は瞬く間に悪くなっていった。雨が降りしきり、まさに土砂降りといった様相だ。更に冬には珍しく、雷も鳴っている。滅多にない事態にリビングで茶を嗜みながらも困惑していると、それ以上に驚くべきことが起こった。同居人が泊まりに出掛け今日は開くはずのない玄関の扉が開き、もう聞けるはずのない声がしたのだ。
「ただいま戻ったぞ」
その声を私が聞き違えるはずもない。さては幻聴かと思い、ゆっくりと振り向くとそこには思い描いていた人物がいた。
どこからどう見てもルルーシュ様だ。羽織っている黒い雨合羽から水が滴っており、幻にしては現実感がある。
私の目の前で息を引き取り、この手で埋葬したのだ。死んでいるのは確かだ。しかし私がルルーシュ様を見間違えることもないのも事実。この御方はルルーシュ様そのものだった。
「風がそれほどないのが幸いだな。一晩なら問題ないだろう」
呆然としつつも、ルルーシュ様から渡された脱ぎたての合羽を受け取る。現状が理解できなくとも、こうして給仕に体が動いてしまうのは習慣なのだ。しかし動きが些か緩慢であったのだろう、ルルーシュ様が怪訝そうな声を上げた。
「? さっきからどうしたんだジェレミア?」
その瞬間、背筋に電流が走る。自分の名前がもう一度呼ばれる機会があると思ってもみなかった。後は歓喜で思考など出来なかった。
「おい、何故泣いている。本当に何があった?」
「ルルーシュ様……!」
その後は泣きながら抱きつき、ルルーシュ様を驚かせてしまった。嗚咽で引き攣りながら、死んだはずの貴方とこうして会話することが出来て嬉しいと伝える。ルルーシュ様が黙ったまま私の背中を撫でてくださったおかげで、しばらくして平静を取り戻すことが出来た。不可解そうな表情で私を見ているものの、落ち着くまで問い詰めるのを待ってくださった優しさに感謝する。
「……それにしても、今までどこにいらっしゃったのです?」
「どこにって、農園の様子を見にだが?」
「なんと! 農園で潜伏していたのですか!」
「……待てジェレミア。俺達の会話に齟齬が生じている」
その後二人で話を突き合わせたところ、目の前にいるルルーシュ様はルルーシュ様本人ではあるけれど私の知っているルルーシュ様とは別人、つまり違う世界から来たルルーシュ様であるとの結論に達した。
この雷が原因だろうと推測を大仰に語るルルーシュ様の仕草は、私の仕えたルルーシュ様と一切変わらず、懐かしさすら覚えた。突拍子もない話だとは思わなかった。どの世界のルルーシュ様でも言うことに間違いはないのだから。
「どうやって帰られるのですか?」
「それについては心配するな。当てがある。それより、こっちの俺はお前に何か料理を作ったり、一緒に物を食べたりしたことはあったか?」
「……いいえ、そんな暇もございませんでしたから」
「ならそいつの代わりに作ってやろう。もし俺と同じ思考をしていたら、それを密かに望んでいただろうからな」
突然の申し出に驚いている間に、ルルーシュ様は何品か作り上げてしまった。話には聞いていたが、やはり手際もよく料理上手なのだと感服する。 しかし、私と食卓を共にすることが望みだったろうとは、一体何を意味しているのだろうか。ルルーシュ様のことだから、私には想像もつかない何らかの深い意図があるのだろう。亡くなられてからも私は翻弄されてばかりだ。
ルルーシュ様に促されて、共に席に着く。思ってもみなかったことに涙腺が再び緩むのを感じた。しかし、それと同時にどこかの寂しさも覚える。それはスープを啜えば啜うほど強まる。私が敬愛し全てを投げ捨て仕えた主は、目の前のお方ではない。
オレンジの育成方法について語らいながら食べ進める。敢えて向こうの私の様子は聞かなかった。食後に、せめて片付けは私がと二人分の食器を纏めてシンクに浸す。水に浸けている間、お茶の用意をして再び食卓へと戻る。そこで、身に余る行為へのお礼と料理の感想を告げた後で、どうにも我慢できずにルルーシュ様に思いを伝えた。
「やっぱり私にとっての主は亡くなられたルルーシュ様だけなのです」
「……そうだな。俺にとってのジェレミアも、アイツだけだ」
それは見事な微笑みを返してくださった。これほど心安らかなルルーシュ様の笑みを見たのは、ついぞ初めてのことだ。向こうの私はどうやら上手くやっているらしい。自分でない自分が、今もルルーシュ様のお役に立てていることが嬉しかった。私の代わりに、使命を全う欲しい。心からそう願う。
雷が鳴っているうちに、と外に出ようとするルルーシュ様に雨合羽を着せる。もう二度と会うこともないだろう、と何となく察する。何の因果か、この日だけに訪れた奇跡なのだ。
「もし、私の世界と貴方の世界の暦が同じならばいいのですが」
生きたルルーシュ様と話す最後の機会。そう思うと口が動いていた。
「貴方の世界でも今日が十二月五日であるのなら。お誕生日おめでとうございます、ルルーシュ様と言わせてください」
「……お前の主の代わりに受け取ろう。ありがとうジェレミア。お前はいつも俺の支えだった」
その瞬間、身が痛くなるほどの轟音で耳がつんざき、眩い光に視界が消えうせる。しばらくして視力が回復すると目の前には誰もおらず、側にあった木が焼け焦げているのが目に入った。どうやら雷が直撃したらしい。
さては、いままでのことは白昼夢だったかと肩を落として台所に戻る。すると流しには食器が二人分浸かっていたのだった。
Written by BAN 1205 10