揺動するもの

※ オリキャラが出ます
※ ルルーシュが悪逆皇帝します






「今日で別れよう、俺たち」
 謁見の間には人払いをしたせいで、俺たち以外の誰もいない。ブリタニアの皇帝どもが代々座してきた玉座の間で、ひどく俗的で個人的な話をするのは、歴代の皇帝の威光を汚しているようで、少し気分が良かった。
 話がある、とこの場に残していたジェレミアはおおよそどういった話をされるのかは想像していたのだろう。俺がその言葉を告げる前から、姿勢を正して身を硬くしていた。それでも別れを告げられると、大きく目を見開いた。そんなに目を丸くされると、瞳の色も相まって本当にオレンジのようだ、なんてとりとめもないことを考える。
不躾にも顔を見つめる俺の視線にたじろいだのか、ジェレミアは顔を俯いてしまった。俺が好んでやまないオレンジの瞳が見えなくなってしまう。残念だ、こうして別れを切り出した直後ですら惜しむ気持ちが沸き上がる。
「……当然のことでございます、殿下。いえ、陛下……」
 その声は震えているように聞こえた。玉座に座る俺と膝を着くジェレミア。俺たちを隔てているのは身分という、崩そうと思えばどうにでもなる制度ではない。決して変えようがない生死が、俺たちの間に一線を画していた。
「これまで通り私に仕えてくれるな?」
「Yes,your majesty.」
再び顔を上げた彼の目が相も変わらず愛おしかった。



「おはようございます陛下。本日は素晴らしい陽気ですよ」
 いつの間に寝入っていたのかわからなかったが、高らかな声で俺は目を覚ました。しかしいつもの側付きの女従の声ではない。あの女は俺が起きるのを部屋の隅で黙って待つばかりで、寝過ごしでもしない限り声を掛けることはしない。そして俺が寝過ごすことなどあり得ないので、こうして誰かに起こされるなど久しぶりのことだった。
「……ジェレミアか」
「Yes,your majesty.本日は私が朝の御支度のお手伝いをさせていただきます」
 ここ最近の彼にしては珍しく、浮かれているように見える。頬が緩みきっていて、嬉しくて楽しくて仕方がないのだという気配が十分に伝わってくる。全く、物好きなことだ。仕事の範疇ではないのに、わざわざ他人の世話を焼くとは。それを皮肉も交えてジェレミアに伝えると、
「慕情があれば、その人のために何でもして差し上げたいと思うものですよ」
と実に晴れやかな笑顔で皮肉も何にもなく返された。こいつの場合、本心からそうと思っているのだろう。ああ、でも確かにそうだったな。俺も二年前には毎日そう思っていた。一年前にはそう思わされていた。その相手はどちらももういない。普段は考えないようにしている記憶が蘇りそうになり、心がざわめき立つ。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。私はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。ルルーシュ・ランペルージはもう死んだのだ。
「ジェレミア、湯を持て。熱めでな」
 その熱さでひとまずは思考を切り替えよう。

 介添えは必要ないと断ったのに、なお鬱陶しい視線を向けてくるジェレミアを一睨みすることで制する。俺が断った以上、手を出そうとしても睨まれるだけだとわかっているのにどうして世話を焼きたがるのか、実に鬱陶しい。
「本日のご予定を復唱いたしましょうか?」
「いや、必要ない。全て頭に入っている」
 少しでも俺の役に立とうとでも思ったのか、PDAを胸元から取りだそうとしたジェレミアを今度は言葉で制する。わざわざ人に言われるまでもなくスケジュールは把握している。忌々しいくらいにつまらなく、しかしこれからの計画のために皇帝の権威を見せつける必要があるものばかりだ。面倒この上ないが、一日くらい我慢しよう。少しでもため息をこぼすと鬱陶しいまでにこいつが心配し始めるので、心中で漏らす程度に止めた。
 着ていた寝間着を脱ごうと裾に手を掛けると、大げさなほど勢いよくジェレミアは背を向けた。その不自然な態度にちょっと腹を立てたが、こいつからするとそういう態度をとってしまうのも仕方のないことだろうと叱責するのはやめておいた。こいつが俺に未練たらたらなのは知っている。もしかしたら中途半端に部屋に入れたままにしておいたのが悪かったかもしれないな、と思わないでもない。いっそナイトオブワンから解任してどこかへ遠ざけてしまった方が、中途半端に俺と関わって生殺しになっている今よりはマシなんじゃなかろうか、とも思う。のだが、皇帝の俺としてはジェレミアは役立つ人材だから側にいてほしいし、ルルーシュ一個人としても側にいてもらった方が嬉しいので、ジェレミアには辛いだろうがこのままゼロレクイエムまで据え置きだ。嫌いになって別れた訳じゃないんだから、俺が死ぬくらいまでは側にいてくれても罰は当たらないだろう。いつか来る自分の死を少しでも冷静に受け入れるために、せめてジェレミアには側にいてもらいたかった。
 即位してから身を通すことになった白を基調とした服は、派手な装飾を沢山付いていて周囲の者に威圧感を与えるのに大変役に立つ。着込むのに少々時間がかかるのだけが難点だが、そのちょっとした手間さえ惜しまなければ、この、ちょっと、ちょっとした……。
「ジェレミア、何故背を向け突っ立っているんだ! さっさと俺に服を着せろ! お前は何をしに来たんだ!」
「Y...Yes,your majesty!!」

「みんな揃っているか」
「うん。君たちで最後だよ」
 いつもは朝食を部屋へと持って来させるのだが、今日は広間で食事を取ることになっていた。三十人は座れそうな長テーブルは殆ど開いている。ナイフやフォークなどがセットされているのは、六人分だけのはずだ。
 広間に着くと、真っ先にスザクに声を掛けられる。普段身につけている窮屈そうなマントをしていないためか、どこかすっきりしている印象がある。ここ最近は張り詰めているように見えるスザクも、今日は穏やかな印象を受けた。それを喜ばしいことだと、素直に思う。スザクは自分で自分を追い込む性質だ、こんなことで心が安らぐのならいくらでも付き合ってやりたい。これからのスザクを思えば、少しくらい心を砕いてやってもバチは当たるまい。
 視界の隅に、緑色の髪が写って若干驚いた。いつものあいつからすると、まだ寝ていてもおかしくはない。むしろ起きている方がおかしい。
「C.C.までいるとは、これは何かの凶兆か?」
「他人の手も借りられなければ服も着られない坊やは黙ってろ」
何故知っている。盗撮か? 監視カメラで監視でもしてたのだろうか。おのれ魔女め! ちょっとした怒りに駆られたが、宥めるようにジェレミアが上座に案内したので、一睨みだけで抑えた。ロイドが朝から物騒だね〜と気の抜ける声ではやし立て、セシルが我慢できないというように笑いを漏らしたが、さすがに彼らを睨むのはやめておいた。
 誕生席に用意されたイスに座り、一同を見渡す。長いテーブルには朝食が並べられ、五脚の背もたれ付きイスには俺から近い順にスザクとC.C.、セシルとロイドがそれぞれ向かい合わせで、ジェレミアが一人で座っていた。俺ほどでもないが、それでも仕事に追われ忙しい彼ら(ただしC.C.は除く)がせめて今日だけは、と時間を取ってくれた。おそらくセシル女史の発案の企画だろうが、気心の知れた者たちだけで囲む食卓というのは随分と久しぶりで、懐かしくも悪くない気分だった。毎日、家族で食事を取っていたことが随分と昔のように感じる。今日はやることなすことが過去との比較になってしまう。きっと今回が最後の誕生日になるからなのだろう。他人事のように思った。
「では陛下、お願い致します」
「あー。今日はこの様な場を設けてもらったことを嬉しく思う。……ということを今日俺は数回と言わなくてはならない。とても面倒で気が重い。けれど、今この場で言った言葉だけは心からの真実だ。ありがとうみんな。今日のことも、そしてこれから先のことも」
 セシルに促されて、ちょっと迷ったが本心を伝えておこうと思った。このメンバーで取り繕っても今更仕方のないことだし、日頃の彼らの働きを労ってやりたかった。
「出来れば朝食くらい久しぶりに俺が作りたかったんだが、ロイドに止められたのでな。俺の手料理が食べたかった奴はロイドを恨め」
「あは〜また陛下そういうこと言うから、ジェレミア卿が怖い顔して僕の事を見てくるよ〜」
「別に、私はただお前の顔が気にいらないから睨んだだけであって、陛下の手料理が食べたいなどとは!」
「だよね〜悪逆皇帝ともあろう方が臣下のために手を奮うなんてこと、あったら不味いもんね〜。食べたいと思っちゃいけないよね〜」
「……うむ」
 元々身内には甘くなってしまう俺だから、気を抜くとこういった悪役やしからぬ行動をとってしまいそうになる。そんなときはロイドやセシルが止めてくれるので、俺は一応悪逆道を踏み外すことなく今日を送れている。一番俺の近くにいることが多いのはスザクなのだが、こいつは身体能力と反比例するあんぽんたんで、そういった細かい気遣いには向いていない。C.C.はピザばかり食べているので、スザクと同じく気遣いは出来ない。というより、ピザさえ食べられればいいと思っている節がありそうでならない。ジェレミアはもっとダメだ。俺のやることなすことにYes,your majesty.しか答えない。現に今だってロイドを恨みがましそうに睨んでいる。どれほど俺の料理が食べたかったのだろう。全くバカな奴だ。お前が言うなら、俺はお前のために喜んで腕を奮うのに。一人分の料理を作るくらいなら、目につかないで出来るだろう。だがジェレミアは決して俺に料理を作ってくれとは言うまい。つき合っていた頃ですら、あいつが言って来たことはなかったのだ。恋人関係を解消してただの主従となった今では、その行為はジェレミアにとって越権行為だ、と思っているのだろう。俺の料理技術は錆び付く一方だった。
「ともかく、今日は大変忙しい一日になるのは間違いない。朝食の時間だけは心おきなく楽しんでくれ」
 そう締めると、スザクがオレンジジュースの入ったグラスを掲げた。
「親愛なる我らが皇帝、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア陛下に」
 スザクに続いて皆もグラスを掲げて復唱した。こういうところがスザクは本当に抜け目ないな。女ったらしだけある。笑おうと意識せずとも、俺は自然と綻んでいた。

 楽しい時はあっと言う間に過ぎ、俺は無意味かつ無駄に格式ばった式典に追われることになった。各自治領主が並び決まりきった文句を告げ、また次の者が同じような台詞を吐き、ということが延々と繰り返されるのだ。唯一の救いは笑顔でありがとうと礼を返すのではなく、悪逆皇帝らしく無理矢理祝辞に難癖を付けて捧げ物を要求しては、お前の顔が気に入らないなどといって関税を上げたりと好きなように振る舞えたことだ。始めのうちは卑屈な笑みを浮かべていた領主が段々と顔色を青ざめ、最終的には色を無くしてしまうのが哀れだった。しかし俺としても悪役っぷりを見せつけるこれとない機会なので、悪いとは思いつつも自由にやらせてもらった。
 中には恐れながら、と自分の命を省みずに意見する領主が数人いて、嬉しい発見をしたものだと思いつつその者を牢に捕らえさせた。この状況で俺に意見するとはバカ正直ではあるが、道理の通った人物である。領民にも慕われているだろうことが想像できるし、後で調べてみたところおしなべて治世は領民に負担の少ないものだった。そんな領主が捕らえられたと聞くと、その領地の者は俺への不信や不満を抱くだろう。
 また、増税に対しても媚びへつらう真似をした領主もいた。皇帝からの勅命を盾にして、この機に自分の取り分も増やそうとより多く増税しようとする者も出るだろう。後者はいずれ理由を上げて処分する必要がある。思えばこれは好機だ。俺という呪われた存在が生まれたこの日も世界の改革の役に立つのなら、誕生日というのも悪くない。
先の順番だった領主たちが白い顔で退出していくのを何度も見せつけられた数十人目の領主は冬だというのに既に額に脂汗を浮かべている。今度はどんな難癖と付けようか俺は考えを巡らせた。

 その蟻の行列のように延々と続く挨拶が終わると、今度は公爵たちとの昼食だ。ここでは物騒なことは言わずに談笑する。それどころか、よろしければこの後の式典をご一緒にいかがですか、などと甘く誘った。笑顔で応じる彼らは今夜自分たちになにが起こるかというのは全く想像していないに違いない。下々の間では悪逆皇帝と悪名高い皇帝といえど自分たち貴族には何ら関係のないことだ、とでも考えているだろう。
事実、昼食がメインに入った時に「陛下は卑しい市井の者どもには悪党と囁かれていますが、庶民が搾取されるのは当然のことであって、陛下のなされていることに間違いなどございませんのに、下卑な者はつくづく己の利しか考えぬ愚かな存在でございますな」と醜く太った男が言った。周りの公爵どもはぎょっとした表情を見せたものだが、俺が笑顔で応じると、追従するように「全く悪逆皇帝などとは若くて聡明なる陛下を愚弄するにもほどがありますわ」などと続いた。
 こいつらは自分たちが永劫に豊かだと思っているのだろうな。庶民の母から生まれた俺より、代々続いている高貴な血筋を引いている自分の方が偉大だと思って内心せせら笑っていることだろう。今夜が楽しみでならない。自然と上がってしまう口端を隠すために、さりげなく組んだ両手で口元を覆い隠した。

 笑顔で策略を巡らす昼食が終了すると、今度は首都一の広さを持つ競技場で行われる式典に出席だ。子供たちがマスゲームや器械体操、演奏などを披露して俺の誕生日を祝っている。
「高貴で偉大なる皇帝陛下のお誕生日、誠におめでとうございます!」
 いたいけな子供が笑顔で叫ぶ。一糸乱れぬその言葉と押し並べて浮かべている非の打ち所のない笑みは、失敗した者の家族や隣近所の者どもを皆殺すと前もって通達してあった指令が隅々まで行き届いている証拠だろう。指導教官にも自分の元からそういった者が出た場合、同じ刑に処すと伝えてあったので今頃は目立った失敗がないことに胸を撫で下ろしているかも知れない。パフォーマンスとしては十分成功したものだろう。人間というのは自分のせいで周りの者が害を被るのが一番堪えるものだ。子供といえどそれは同じ事。
 式典の中で特に素晴らしい技を見せたのは、最後に登場した一人の少年だった。十にも満たない年だろうか。声変わり前特有の美しいボーイソプラノで、今日の式典のために作られた俺を讃える歌をアカペラで見事に歌いきり、心から感心させた。特にE6の超高音をブレることなく数秒も響かせた技量には感動を覚える。大人に比べ、声量の劣る子供にも関わらず迫力を感じさせるこの美しい声が声変わりで失われてしまうのは非常に惜しい。何より、聞く者の背筋を震わせるような凄みが気に入った。
 「一番の技芸を持った子供には皇帝自ら勲章と褒美を授ける権利」は彼に行使する事に決めた。俺の側で蘊蓄を語るばかりだった式典主催者にその旨を告げ、競技場に設置されつつあるセレモニー台に護衛の為に連れてきたスザクを伴って向かった。貴賓室近くにある階段を主催者の先導でスザクが降りて、その後に俺が続く。後方から数人のSPも着いて来ているようだった。
「私はあの少年より、体をぐにゃりと曲げて踊っていた少女の方が良かったのですが」
「ナイトオブゼロは音楽の方面に素養がないからな。貴公に見慣れている私にはあの程度大したものではない」
「恐れながら陛下、いくら私でもあそこまで体は曲がりません」
 余程のことがない限り、こういった場では黙っているスザクが珍しく話しかけてきた。つまりは何かがあるのだろう。通路を抜けて競技場に入った瞬間、外の眩しさで皆が目を顰めた隙を見計らってそっと耳打ちをした。
「気をつけてルルーシュ、あの子供君を殺す気だ」
 それがあの迫られる感覚の正体か、と得心がいった。

 スタジアムに入った瞬間から騒がしいばかりの拍手が鳴り響き、自分の足音すら聞こえない。壇上には既にあの少年がいた。片膝をつき顔を俯けて俺を待っている。壇上に上がると少年はビクリと肩を震わせた。俺を殺そうとするのなら、メダルを授与される瞬間に違いない。斜め後ろに立つスザクに目を向けると軽く頷いたので、対応はスザクに任せることにする。こいつがいれば万一でも俺がここで死ぬ事はない。俺の身を完全に守り、そして自分の身を損なうこともない。
 ……ジェレミアではこうはいかないだろう。俺を守るあまりに気づいたら自分が深手を負っていたという事態になりそうで、少々怖い。だから俺はあいつをあまり連れて歩かない。王宮を出るときにジェレミアが物言いたげな目つきで俺に縋っていることに気づいていたが、留守を頼むとだけ言い残した。伏し目がちに応えを返すことでしか不満を表せられないジェレミアが切なくて、10歳も年上だというのにこの男が可愛らしいと思った。
「諸君、私は今大変に感動している。それは何故か。我が帝国の未来の礎となる諸君等がこれほどまでに素晴らしい身体、技術、英知そして忠義を持ち合わせているほかならない。人間には偉大な可能性が秘められていることを諸君等は今日私に教えてくれた。諸君等はいずれ我が帝国を代表する顔となるだろう、そしてこれまで以上に私に貢献することが出来よう。いずれ来るその日の為に諸君等には一層の努力を期待するものである。中でも本日、私はある歌声にひどく心を打たれた。ほかでもない、今私の目前にいるこの少年のものだ。彼は少年期特有の美声でもって私の心を慰撫たらしめた。よって私自ら、彼にメダルを下賜する名誉を授けるものである」
 民衆は先ほどまでと打って変わって静まり返っていた。マイクを通じた俺の声がスタジアムに響きわたっている。ここに集う数万の目が俺達に集中し、そしてこれから起きる事態を見届けるだろう。
「さあ立ちたまえ。そして一歩前へ」
 顔を上げた少年の瞳は透明感のある青色だった。地から解き放たれ自由を知った空のような、そんな色。スザクから殺気があると言われたにも関わらず、彼の顔からはそんなドス黒い怨念じみたものは伺い知れなかった。誇らしげな表情は、当事者以外からすれば名誉からだと思うだろう。それが逆にこの少年の覚悟のほどが伺えた。殉教者、正にその言葉が相応しい。
 主催者からメダルを受け取り少年の首に掛けようと手を伸ばしたとき、彼は動いた。
「死ねルルーシュ!」
 懐に手を入れ凶器を取り出すより早く、飛び出したスザクにその手を押さえられ、そのまま後ろ手に捻り上げられた。床に押し倒され、スザクにのしかかられたことで、完全に動きが封じられる。場内は突然の出来事にざわめき、主催者は金切り声を上げながら泡を吹いている。
「畜生、畜生! ふざけるな、人殺しのくせに、俺の家族を殺したくせに!!」
 ボーイソプラノが、スイッチの入ったままのマイクを通して会場内に響き渡る。美しい声で吐かれる呪詛とは、こんなにも魅力的なのかとこんな事態にも関わらず感心する。襲撃者の声を聞こうと自然と喧噪が収まっていく。SPの連中が不届き者を連行しようと駆け寄ろうとしたが、それを手で制する。このような絶好の機会、逃してなるものか。スザクに目線で合図すると、少年が声を出しやすいように体重をかける位置をずらしてもらった。
「人殺し? 何を言う。私がいつお前の家族を殺したというのだ」
「確かにお前自身は手を下してないかもしれない。だがきっかけを作ったのはお前だ! お前がこんな馬鹿げたセレモニーなんか考えなければ家族は死ななかった!」
 その馬鹿げた、という意見には俺も心から賛成をしたいところだ。
「俺はあの日、風邪を引いていたんだ。本当に具合が悪かったんだ! それなのに仮病を使って練習を休んだと言って、教官は俺の家族を鞭打ちにした! 妹は体が弱かったのに、そんなことをされたせいで、血を吐いて死んでしまった! 父と母はその日の晩に首を吊って死んだ! 自分たちがいなれければ俺が自由になれるって残して死んでしまったんだ! 俺がこんな馬鹿げたものに選抜されなければ、いままでどおり平和に暮らせていたのに、それもみんなお前がいたせいで!」
「これはこれは。下々の間ではこういうのを八つ当たりというのだろうか」
「何だと!?」
「風邪を引いたのはお前のせい、鞭で打たれたのも日頃から教官から信用されていなかったお前のせい、妹が死んだのは兄が自己管理を怠ったせい、父母が死んだのもお前のせい。ほら、お前がいなければお前以外の家族は平和に暮らせていただろうさ。それが私のせいで家族が死んだだと? どうしてそういう発想になったのか私には理解しかねる。これだから庶民というのは愚かなのだ」
 少年は顔を赤くして唇を震わせている。あまりの言い草に言葉も出ないのだろう。声にならない呻きを洩らした後、発狂するかのごとく彼は叫び声をあげた。しかし、その様子は叫びを歌で表現する悲劇のオペラのようだ。彼の声はいついかなる時も甘美だった。
 スザクに合図して少年の口を抑えさせ、その美声を終わらせる。
「不届きにも私の命を狙った罪は重い。お前の命などでは償えるようなものでは到底ない。だが私はお前の声を気に入った。今の嘆きなど特に素晴らしいものだ。よってお前を宮刑に処すことで放免としてやろう。私の寛大な処置に感謝することだな」
 呆けた少年の顔からすると何を言われたのかわかっていないようだった。確かにまだ声変わりも済ませていない年齢なのだから、気を遣ってやる必要があるだろう。
「以後カスラートとして生きていくがいい」
 そこで初めて少年の目が大きく見開かれた。宮刑という言葉に耳あたりはなくとも、カスラートといえば自分の専門分野の話だから理解できたのだろう。
「自分の命を絶とうなどと思うなよ? そうすれば、お前の家の近所の連中を殺していく。また腕を磨くのを止めてはならん。錆び付いた時には、近所の者だけでなく同郷の者も巻き込んで殺してやるからな」
 少年が凄まじい表情で睨んできた。死ぬことも禁止され、男としての誇りも奪われ、子孫を残すことも叶わない。この先の人生は酷いものだろう。しかし、それを補ってもなお、彼の声は残していくべきものだ。もはや身寄りのないらしい彼にとってはそれが生きる支えになるだろう。
「せいぜい励むことだな」
「呪ってやる、呪ってやるぞ略奪王ルルーシュ! 俺がこれから歌う全てはお前への呪いだ!」
会場内はざわめきが止まない。効果は絶大のようだった。



 車で宮殿に戻る途中、スザクはずっと気難しい表情をしていた。
「やりすぎだと思うか?」
「正直ね。ただ、あれで彼は生きる理由が出来た。もう死のうとは思えないだろうね」
 あの瞳は、俺と差し違えて死ぬつもりだった目だ。透明感のあった瞳は、己を縛り付けるものが何も無くなったから。ここで命を絶とうとして、将来のことなど考えてもいなかったからだろう。
「ただ、他人から強制される生ほど辛い物はないと思う。これからの彼の人生を思うと同情するよ」
「あいつはきっとカスラートとして大成するはずだ。いつかそのことに価値を見いだせれば、強制されているとは思わないはずさ。もしそうでなくても、俺が死ねば誰も強制する者はいなくなる」
「傲慢だね、君は」
「ギアスを持つ者は皆そういうものだ」
 十二月となると日暮れはあっと言う間だ。いつのまにか日が沈んで闇の広がる道を、護衛車を含めた数台の車だけが走っていた。

 今日のメインイベントはこれから行われるダンスパーティーと言っても過言ではない。公爵を始め、社交界に有力な貴族はあらかた招待している。これから自分たちの身に何が起こるかも知らずに、呑気なものだと集まった者たちを前に思う。しかし、ヴァルトシュタイン卿やヴァインベルグ卿を始めとした、元々ラウンズだった者たちの姿は見えない。王位を簒奪した自分への憤慨からか、どうやら何かを企んでいるようだ。だがそれも大した障害にはならないだろう。立ち向かうなら叩きのめせばいいだけだ。
 それにしても、大広間の入り口には見知らぬ兵士が立っているだけで、ジェレミアの姿が見えなかった。いるとしたら、ここかと思っていたのがそうではないようだ。さすがにジェレミアが何時にどこにいるか、なんてことまで把握はしていない。一目姿が見られれば、それだけでいいと思ったのだが、中々うまく行かないようだ。
「ジェレミアの姿が見えないが、どこにいったんだ?」
「卿ならもう中に入っているよ。姿が見えないと不安かい?」
 ずっと俺の後ろを歩いていたスザクの方があいつの予定を把握している、というのは少し腹立たしくもある。「馬鹿言え」と吐き捨て歩調を早めても、つかず離れずのこいつが時に憎らしい。スザクに本心を言い当てられたのも、なおのこと苛立ちを煽った。人一人の人生を俺が左右するなんてこれまでも何度もあったことだ。人を殺したことだってある。それなのに、何故こうもジェレミアの顔が見たいのかが我ながら不思議だった。

 結局どこにジェレミアがいるのかわからないまま宴は始まった。昔のトラウマが蘇るのか、こういう場が好きではないC.C.は姿を見せない。俺の愛人として評判が立っているあいつなら、パートナーとして最適なのだが、嫌がる者に強制するわけにもいかない。適当に皇族の女性と踊って、後はずっと用意された特等席に座っていた。一応の義理を果たせば文句はないだろう。俺と踊りたそうに視線を向けてくる女性がいても、俺を守るように立つナイトオブゼロを掻い潜ってまでやってくる豪胆さはないようだ。
 ただ座って、場が盛り上がるのを待つだけの作業は非常に苦痛なものだ。少しの間なら抜けても差し障りはないだろう、そう判断する。そこに居るのが仕事といえど、流石に耐え難い。
「枢木卿、しばしこの場を任せる」
「Yes,your majesty.」

 広間の奥には限られた者しか入れない廊下が続いていて、大広間との騒がしさと打って変わった静けさだ。窓から入り込む月明かりが廊下を照らし、十分な明るさがあった。ざわめきは遠く、大理石の上を歩く俺の足音だけが反響する。目的もなくただ歩いていると、背後から足音が聞こえてきた。いつものペースより、どことなく早い。走らないように、しかし急いでいるのだろう。気が急いているのだろうな、と当たりをつけた。
「陛下! 陛下!」
 掛けられた声はやはり少し上擦っていた。護衛も付けずに俺が一人になったのが不安だったのだろう。会場のどこかで俺の様子を伺っていたのか、それともスザクに教えられたのか。
「陛下、ここは冷えます。中にお戻りください」
「ジェレミアか」
 既に誰だか分かってはいたが、振り返るとやはりその足音の主はジェレミアだった。眉間に皺が寄っている。直接口に出しはしないものの、勝手に一人になった焦りからだろうか。こうした表情を見るのは久しぶりな気がした。最近では悲痛な表情か縋るような目付きか精一杯の笑顔かのどれかしか見たことがなかった。まだ俺は生きているというのに、今のうちから辛気臭い顔を見せつけられるのには辟易とする。ああ、でも今朝は珍しく朗らな笑顔だった。出来ればずっと見ていたくなるような、そんな笑顔だった。
 思えば今日は朝食の後、出かける前に一度会ったきり久しぶりに顔を合わせたのだ。こいつはどこかで俺のことを見守っていたのだろうが、俺からするとどこにいたのか皆目検討もつかない。今までどこにいたんだ、と詰りたい気持ちを抑える。あまりにもみっともない八つ当たりだ。
「少しくらい、いいだろう。中の熱気に少々当てられた。それに、これからのことを思うと少し頭を冷やしたい」
「Yes,your majesty.……ですが、せめてこれくらいはお許しください」
 自分のコートを脱ぐと、まだ温もりの残っているそれをジェレミアが羽織らせた。自分は暖かくなったが、その分こいつが冷えるだろう。余計なことをするなと睨みつけるが、ジェレミアは恐縮するものの、服を取り戻そうとはしない。返そうと服に手をかけると、眉尻を垂らし困り顔で縋りつくような目で訴えられては、受け入れないのもまた難しい。
「風邪など引いたら、クビにしてやるからな」
 全く自分はこいつに甘い。破顔したこいつを見るだけで、ささくれだっていた心が落ち着くのを感じていった。どこからか隙間風が吹き、寒さに震え上がる。どうせなら、とジェレミアの上着に腕を通すことにした。やはり、羽織るだけより温かい。それに何より、ジェレミアに包まれているようでどこか安堵できた。袖を鼻先に持って行くとジェレミアの匂いがする。実際にはもう触れ合うことなど出来ない間柄だ。こうした間接的な接触で自分を慰めるほかない。

 しかし、突如ジェレミアが抱きついてきた。思いもしなかった行動に僅かに固まり、こうした行動はとらせるべきではないのだと思い至り、身動ぎをする。
「何をする、やめろ!」
「……申し訳ありません、ルルーシュ様。ですが、本当に嫌でしたら、離せとお命じ下さい。その一言で私は離れましょう」
 たった一言だ。言うのは簡単だ。だが言えなかった。わかっているのだ、俺にもこいつにも。俺がそんなことを言えるわけがないのだと。結局俺はずるい男だ。別れを告げたのに関わらず、ジェレミアをきっぱりと切り捨てられない。縋りたくなるのだ。その甘えをジェレミアは責めない。俺の都合の良いように使われているのに、それを黙って受け入れる。そしてこいつが何も言わないのをいいことに、俺は好き勝手振舞う。悪循環だと思うが、居心地のいい関係から抜けられない。多分、これは俺が死ぬまで続くのだろう。可哀想なジェレミア、あの時俺に忠誠など誓わなければよかったのだ。
「今日は、俺の誕生日だよな」
「はい」
「プレゼントを貰っても、許される日だよな」
「はい」
 ジェレミアの返事は、許しを与えているようだった。事実、逃げ道を作ってくれたのだろう。あいつが我慢しきれずに俺に抱きついた。俺はそれを可哀想だから振り払うのをやめた。そういう構図なのだ。そして俺は、ジェレミアの背中に腕を回す。
「ここは寒いな」
「はい」
 ジェレミアは先ほどより強く抱きしめてくれた。そうだ、これでいい。はっきりとは言えない。深くも求めない。今の自分にとってはこれで満足なのだから。冬の寒さは身に染みたが、今はその寒さがありがたかった。
 どれだけそのままの状態でいただろうか。出来ればずっとそのままでいたかった。こんな機会はもうないだろう。寒さが染みる俺の誕生日だからこそ生まれた言い訳なのだ。しかし、けじめは付けねばならない。そして今日の大仕事はまだ残っているのだ。
 離れるように身じろぎすると、ジェレミアは腕の囲いを解いた。贈り物はこれで終わり、後は現実が待つばかり。着ていたジェレミアのコートを脱いで、手渡す。
「ジェレミア卿、貴公の好意に礼を」
「有り難き幸せに存じます、陛下」
「……中へ戻るぞ」
「Yes,your majesty.」
 身を翻して大広間へと重い足を向けた。すぐ後ろにジェレミアの気配がある。その幸せな事実から目を逸らし、どのようにしてダンスに勤しむ愚か者たちに貴族制度の廃止を告げるかと頭を巡らせ始めた。
Written by BAN 1205 10

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