ルル誕

「おはようございますルルーシュ様。本日は素晴らしい陽気です」
「おはようジェレミア。俺の耳には窓に打ちつける激しい雨音が聞こえるように思うのだが、とうとう俺の耳がいかれたのだろうか」
「至って正常でございます。ルルーシュさまの生まれた日が、素晴らしい陽気でないわけがありません。例え激しい雷雨だろうと、素晴らしい陽気なのです」
 二人で暮らし始めて、既に俺の誕生日を百幾度迎えたかわからない。けれど飽きることなくこいつは12月5日は輝かしい笑顔と蕩けるような甘い声で俺を起こすのだ。俺はもう飽きた。大体実年齢を数えることなどとうにやめてしまったので、今さら誕生日などと言われてもピンとこない。いつも同じ、365分の1日でしかないのだけれど、それでもこいつは嬉しそうにこの日を迎えるのだ。本当に飽きない奴だ。
「飯は」
「既に用意してございます。下で食べられますか、それともこちらにご用意いたしましょうか」
「ここ」
「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」
 ベッドの上でものを食べることをマナーが悪いだなんていつしか思わなくなっていった。いつ終わるとも知れない生への厭世感が段々と俺を無精な人間へと変えてゆく。そんな俺をジェレミアは叱ることなどせずただただ甘やかすばかりだったので、俺の無精はここ数年で加速度的に悪化した。
「お待たせいたしました。昨晩は深酒をいたしておりましたので、まずはスープをお召しください」
 まずは、と言うけれどトレイの上にはスープ皿しかない。炭水化物はどこだ炭水化物は。しかもそのスープにしても具がない。抗議を込めて睨むがジェレミアは意に介することなくスプーンで一掬いし、俺の口元に運ぶ。俺が睨んだだけで顔を青ざめて慌てていたジェレミアはどこに消えてしまったんだろうなと思いつつ口を開いた。って熱い、痛いぞ! 口内に零されたスープに舌鼓を打つより先に熱さで舌がヒリヒリと痛み、思わず怒鳴り声を上げた。
「熱いじゃないか!何故冷まさないのだこのアホたれ!」
「だってルルーシュ様、この間フーフーしたら俺の食べるものに息を吹きかけるなって怒られたじゃないですか。ですから」
「だってもクソもない!いいからフーフーして冷ませ」
 話の途中で遮られたせいで不満げに唇を尖らせていたが、結局再びスープを掬って、フーフーと慎重に息を吹きかけ始めた。あまりに執拗すぎて、もう確実に冷めているだろそれという段階になって、ようやくジェレミアは俺の口元にスプーンを運んだ。口を開いて招き入れたそれは案の定冷たかった。
「冷たい。お前は主にこんなにも冷めたスープを飲まそうと言うのか。忠義の欠片もない奴め」
「それは申し訳ございません。決してルルーシュ様の舌を火傷させてはならないと思いまして丹念に冷まさせて頂きましたが」
「ああその心遣いは大変嬉しく思うが、火傷なんてすぐ治るし、そんな冷たいスープなんて美味しくも何ともない」
「それは……なんとも」
 何がなんとも、だ。困ったように言ってるくせに気持ち悪い笑顔を称えている。このドMは俺がわがままを言うのが好きでたまらないらしい。だから俺はちょっとしたことでも難癖をつけてこいつを喜ばせてやってる。それが百数年一緒に暮らしていくコツだ。全く主人というのは臣下の気も遣ってやらないといけないのが面倒だ。
「指で温度確かめろ。スープ皿でなくてスプーンの方でいいから。熱すぎず冷たすぎずだからな」
「はい、ルルーシュ様。お召し物に私の指を触れさせる光栄、誠に有り難く」
 掬ったスープに二度息を吹きかけて、ジェレミアは人差し指をスプーンに差し入れた。悩ましげに眉を寄せることしばし、よろしいでしょうと指を抜くと再びスプーンを俺の口元に寄せた。
「……まあいい」
「はっ、有り難き幸せ!」
 開いた口に注がれたスープはまさに注文通りのものだった。それが物足りない。もっと詰ってやろうと思っていたのに。
「ジェレミア、ちょっと待て。その指をよこせ」
「へぁ?」
 それだそれ、と先ほどまでスープに浸していた指を示す。拭われていないそれはまだしっとりと濡れている。とっさに素っ頓狂な声を上げたジェレミアだったがさすがに長年のつきあいで俺が何を望んでいるのかを悟り、眉尻を下げてため息をつくと、お望みのままにと今度はスプーンの代わりに人差し指を口元に差し出した。
 とりあえず咥える前に舌を伸ばして一舐めしてみる。びくりと震えた指からはさっき味わったのと同じコンソメの味がする。中腹から指先へと舌を動かし、短く切りそろえられた爪までたどり着くと、第一関節のあたりまで軽く咥え込む。音を立てて吸いつき、指を滑らせる。親指側を少しずつ指の股へと近づいて行きながら時折吸いついてみせたり。第二関節を通って股へたどり着いたら、指の下をくぐって今度は中指側を先ほどとは逆の道を辿ってまた指先へと向かう。けれど中指が鼻の下に当たってなかなかうまく舐めることが出来ない。ああ、くそじれったい。面倒になって俺は途中で指を全て口に含んだ。喉の奥近くまでジェレミアの指で埋まる。けれど吐き気を催すことはない。幾度となく慣らされた「行為」によって、俺の喉はすっかり鈍くなってしまっていた。が。
 喉を擽られる感覚がして思わずジェレミアを睨むと、どこ吹く風と涼しい顔をしていた。しかし咥え込まれた指先を動かして俺の喉をいたぶっているのは間違いない。ジェレミアのくせに生意気な奴め! 指の根本を甘く噛んで抗議をしても動きは止まらず、爪で口蓋を確かめるように上下左右と動かしている。
「ひぃれひあ、うあい」
「何をおっしゃっているのか私には聞き取れませんな、ご主人様」
 嬉しそうに俺をからかうジェレミアに心底腹が立った。俺の言葉をこいつが聞き取れないわけないのだ。畜生、もういい。指を解放するとジェレミアは意外そうな顔をした。
「おや、もうよろしいのですか」
「飽きた。普通に食べるから皿ごとよこせ。それと出ていけ。顔も見たくない」
「御意に。それでは」
 トレイごと俺に渡すと、何かございましたらお呼びくださいなんてしれっとした顔で言ってのけると寝室から出て行ってしまったのだ。ああ本当に可愛くない奴だ、俺が本気で言ったかどうかもわかっているのに、敢えて俺の言葉に従ってみせたりして。
 スープを一匙掬うとそれは透き通る黄金色で、はしたなくも音を立ててすすってみる。下らない戯れをしている間に温くなってしまっていたがやはり美味しかった。別にジェレミアに食べさせてもらった方が美味しいと言うつもりは微塵もない。さっきと変わらない味だ。ああ美味しい美味しい。クソッ、ジェレミアなんて死んでしまえばいいのだ。

 ドアの外に出るのが面倒だから、トレイを適当に床に置くとまた布団に潜り込んで何の気なしに窓をたたく雨音を聞いてうつらうつらと時を過ごす。誕生日だからといって特別なことなどする必要は特にないのだ。俺にとっては、誕生日もそうでない日も同じこと。読書にでも勤しみたいところだが、この間買った本は読み尽くしてしまったし、データポートを起動するのは邪魔くさい。それになによりあのデータポートには情緒というものがない。先日字を読むのは本に限ると言ったら、ルルーシュ様は古くさいですねとジェレミアにからかわれたことを思い出してまたジェレミアに腹が立った。
 皿も下げに来ないし、ジェレミアの役立たずめ。大体ジェレミアのくせに俺をからかうのがいけないのだ。そしたら俺もあいつに腹を立てることもなかったし、一人わびしくスープを啜るなんて惨めなことをしなくても済んだ。やっぱりジェレミアが悪いのだ。
 そう結論づけた俺は、ジェレミアから謝りにくるまで一眠りすることに決めた。

 誰かに呼ばれた気がして、ふっと目が覚めた。気づけば窓から光が射し込んでいて、朝ジェレミアが言ったように本当にいい陽気になっている。  むくりと起きあがってみるとなんだか甘い匂いがした。ジェレミアが何か、おそらくケーキを作っているんだろう。スープしかとっていない胃がうめき声を上げた。腹が減ったがいきなりケーキはちょっと……と頭を悩ませているとドアがノックされた。
「入っていいぞ」
 それに応えてドアが開かれた瞬間にそういえばジェレミアに腹を立てていたことを思い出した。はて、どんな理由でジェレミアに腹を立てていたんだったか。すぐには思い出せそうになかったがとりあえず怒りのポーズだけでもしておくことにした。俺が腹を立てるのはどうせいつもジェレミアが悪いからな!
「何の用だ」
「まずは先ほどの無礼を詫びさせて下さい。ルルーシュ様が愛おしくて少々図に乗ってしまいました。お許し下さい」
「……貴様の謝罪は俺より頭が高いところでするのか?」
 ベッドから起きあがったままの俺に対してジェレミアは直立不動だ。その点を指摘すると、これは失礼と俺の手元まで来ると片膝を付き、俺の手を取ってまっすぐ目を見据えた。
「ご無礼お許し下さいルルーシュ様。あなた様の尊い慈悲とお恵みを私めに戴けませんか」
 ……恥ずかしい奴だ。元より何に対して怒っていたのかわからない俺だ。真摯な謝罪を目にすると怒りのポーズをとることが不義理であると感じてしまう。
「許す」
 ありがたき幸せ、と呟くように漏らしたジェレミアが取った手に口元を寄せて、音を立ててキスをした。忠誠のキス。こいつが忠誠を立てるべくものを俺は持ち合わせていないと言うのに、ジェレミアは百幾年と変わらぬ忠誠を俺に誓ってくれる。俺にそれほどの価値ないと、離れるように時折勧めるのだが滂沱して懇願され、未だにこいつが俺のそばから離れたことはない。俺としても別れるのは辛いところなので、はっきり命じることも出来ずに流されるまま関係を続けて今に至る状況だ。
「それで、次にお前は何をするのだ?ひとまずは謝罪をと言っていたが」
「それなんですが!私ルルーシュ様のためにケーキを焼きましたので是非ご賞味いただきたいのです!」
 言うなりジェレミアは立ち上がると、腕を引き寄せて俺の背中に腕を回し、残る手を膝裏に差し込んであっと言う間に俺はジェレミアの腕の中に抱え込まれてしまった。あまりの早業に抗議する間もなく、抜群の出来ですよーなんて浮かれながら部屋を出ていく寸前になって俺は声を荒げた。
「せめて服を着させろ!」
 就寝は全裸でと決めているヌーディストである俺は、二度寝によって着替える間がなかった。素肌を晒していることを百も承知しているはずなのにジェレミアが白々しく、気づきませんでしたこれは失礼なんて言うものだから、思わず横っ面をひっぱたいてやった。いくら無精な俺でも家中を全裸で闊歩するほど節操を失っていないのだ。
頬を叩かれたというのになんだか晴れやかな笑顔をたたえているジェレミアに俺を下ろすように命じて着替えを持って来させた。
「私はそのままでも別に」
「何か言ったか馬鹿」
 小声で呟くジェレミアを着替えるのだからさっさと出ろと一蹴すると、納得がいかないのか眉尻を垂らして不満を露わにしている。飽きる程見ていて俺の裸など大した価値はないだろうに、本当にこいつはどうしようもない男だなと思うままに睨む。時に介添えを頼む、というよりものぐさが過ぎると介添えどころか服を着せてもらうこともあるのだが、今日はごめんだ。
「さっさと出ろ、と言っているんだ」
 最終通牒を告げるとようやく部屋を出ていった。つきあいが長いと限界を見極めるのも確かだ。おかげで本気の喧嘩をすることはここ数十年ないように思う。

 用意された服に着替え、廊下に待機していたジェレミアを伴って階下に行くと、部屋の中では仄かに匂っていただけの甘い香りが、存分に広がっていた。焼けたスポンジの匂い。おおかた俺の好物のショートケーキだろうな、とあたりをつけるとテーブルに置かれていたのはまさにその通りのもだった。
「朝方ルルーシュさまは、誕生日なぞどうでもいいとおっしゃいましたが、やはり私にとっては大切な日ですから。せめてケーキくらいは、と用意させていただきました。差し出がましい真似をいたしました」
「別に今何歳かすらもわからない俺には誕生日なんて今さらだと思っただけだ。おまえの気持ちは有り難く受け取るさ」
「実年齢がおわかりになれば、ルルーシュ様は誕生日を歓迎なさるのですか?それでしたら、あなた様の実年齢は」
「待て! 言うな! 言われると自分が爺になった気がして老け込みかねない!」
「何をおっしゃいます。ルルーシュ様はいつまでも若々しくお美しいですとも! たとえ1000年生きようとその美貌に変わりなど」
「1000年も生きてたまるか! お前の耐久年数までしかつきあわないと言っただろうが!」
「しかしそれでは私の気がすみません!」
「俺がこれに関して意見を翻すことなどない。誰がお前に意見を求めた? この話題はこれで終わりだ」
 それよりさっさと食べるぞとフォークを手に取ろうとすると、横からかっさらわれた。まだ文句があるのかと睨むとジェレミアは重々しいため息を一つ漏らす。
「この件に関してはまだ猶予がしばらくございますから、今日はとりあえず引き下がります」
 切り分けられていないホールのショートケーキにフォークを刺したジェレミアは一口サイズに崩す。
「誕生日おめでとうございます、ルルーシュ様。貴方と共に在れる奇跡に感謝いたします」
 その欠片を俺の口元に運ぼうとするが、フォークを持つ手を押さえ込んで逆にジェレミアの口元に持っていく。俺が気分を害したとでも思ったのか不安そうに眉根を寄せるジェレミアに無理矢理ケーキを食べさせると俺は口を開いた。
「違うな、間違っているぞ。これはいらない、そうだろうジェレミア?」
 フォークを脇に放って口角を上げてみせると、心得ましたと言わんばかりに頷いたジェレミアが己の指でもってケーキを掬った。そしてそれを今度こそ俺の口元に運んだ。
「これでよろしいでしょうか、ご主人さま?」
 上出来だ、と内心答えて指ごと味わうために口を開いた。
Written by BAN 1205 09

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