はつこいはレモンの味

 今年も沢山実ったレモンをあいつに届けてやることにした。嫌がらせのようにトマトを沢山送ってくる(俺だって育ててるってのによ)仕返しとして一度でなく、三度に分けて大量にだ。あいつの困った顔が見たくて、三度目は自分で届けることにした。自分が持っていける量だから嫌がらせにはならないだろうけど、「またかい」とうんざりする顔が見れるのなら、そんなのは大した問題ではない。
 白いウールのセーターに色あせたジーンズ、それに黒のコート一枚のラフな格好で紙袋いっぱいのレモンを抱えて飛行機に乗り込む俺はさぞかし異様だったことだろう。フライトアテンダントがさりげない仕草で自分に何度かチラチラと注意を向けていた。しかもファースト、ビジネス両方開いていなかったからエコノミークラスで、だ。確かに怪しまれてもしょうがないと思う。あいつの家に向かう便で一番早いのがこれだったんだからしょうがねぇ。これもあいつの驚く顔を見るためだと思えばどうってことはない。
 あいつの家に行くのに、この空港を完成した年から使っていたので、タラップを降りてからなら俺は目をつぶってでもタクシー乗り場まで行くことができる……というのは流石に大げさだが、似たようなレベルであるのは違いない。迷うことなく出口へ抜けると、さっさとタクシーに乗り込んだ。ここまで来ればもうあいつの家はすぐだ。
「ぎょうさん抱えてますなぁ。なんやえらいうまそうやないですか」
「俺んちで採れた奴やで。……良かったら一個いります?」
 チラチラと視線を投げかけられた後に話しかけられた言葉に、俺は気分を良くしたので、一個チップ代わりに恵んでやることにした。誰であれ、俺んちで丹誠込めたレモンを褒められるのは悪くない。それがあいつのところの奴なら尚更悪くない。言葉の響きであいつに褒められているように錯覚するから……ということはない。うん、ねぇ。
 タクシーのおっちゃんと笑顔で別れ(笑顔だったのはおっちゃんだけだが。男相手に笑顔になれるか)、あいつの家のインターフォンを連打する。とりあえず五回。しかしちょっと待っても反応がない。寝てるのか、と思って十連打してみたが、耳を澄ましても足音が聞こえてこない。連打数が五十を越えたあたりで俺は結論を出した。
 だめだ、出掛けてやがる。このパターンは想定してなかったぞチクショーめ。仕方ねぇ、サプライズじゃなくなるけど電話すっかといつも携帯を入れている尻のポケットをまさぐったらそこには財布しかなかった。
 あーそうだ、さっさと家を出たせいで、財布しか貴重品持ってなかったんだ。クソッタレ。なんで俺が家に来るっていうときに出掛けてんだよクソヤロー! 寒いじゃねーかよバカ! 早く帰ってこいよチクショー。
 立ってるのに疲れた俺は、ドアに背をつけて座り込む。尻がひんやりと冷たい。痔になったら訴えてやる。風が吹いて、ぶるりと震えてしまった。寒い。開いていたコートの前を合わせて寒さを少しでも凌ぐとする。身を屈めて少しでも熱を逃がさないようにした。
 レモンかじったら体温まるか? いやそれはないな。紙袋の中のレモンを一つ取ってみると、外気に晒されていたせいで案の定とても冷たかった。こんなん持ってるだけで寒くなるっての! と袋の中に突っ込むと、また膝を抱える。
 ここに来たときには控えめに差し込んでいた太陽はすっかり隠れていて、辺りは完全に真っ暗闇だ。いつもならあいつは夕暮れとともに帰ってくるはずだから、こんなに遅くなるってことは誰かと飲んだりしてるんだろうか。そうだとしたらここで一人待っているのはとてもバカらしく思えた。
 いっそ帰るか? 玄関先にレモン置いておけば、あのアホでも俺がきたってことがわかるだろう。そして深夜あたりに電話が来て「ごめんな〜折角来てもろたんに」なんて謝罪で空気を読まずに俺の睡眠を邪魔するんだろう。あいつの声まで脳内で再生されて、我ながらこの予想はいい線行ってるなと吹き出してしまった。端から見ると、膝を抱えて笑ってる奴なん完全に不審者だけど、誰も見てる奴なんかいないんだから構いやしねぇ。それにしても遅いなスペインのヤロー、早く帰ってこいよ……。

「マ……ロマ!」
 うぜぇ。誰だ。
「ロマ、しっかりせぇ! 死んだらあかん、死んだらあかんよロマ!」
 ガクガクと揺さぶられて、慌てて目を開けたら今にも泣きそうな顔をしたスペインがいた。珍しくもかなり慌てている。なんでスペインがいるんだ?
「ロマ、大丈夫か!?しっかりせぇ!大丈夫や、親分がいるから大丈夫やで!」
「……う」
「何、何と言おうとしてるん? これが最後の言葉なんて俺いやや! だから死なんといてロマ死なんといてー!」
「うるせぇんだよ耳元で怒鳴んなこのケ・バッレ!」
 きゃんきゃんと喚くスペインにキレた俺はこいつの耳をひっつかんで叫び返してやった。ピタッと動きを止めたところを見ると効いたようだ、ざまぁ見やがれ。
 ああそうだ、思い出した。俺レモンを届けようとスペインの家までわざわざ来たんだったっけ。いつの間にか寝ちまったようだが。気温が更に下がったのだろう、肌に突き刺すような寒さが痛いくらいだ。と思っていると、今まで動きを止めていたスペインが抱きついてきやがった!
「よかった、ロマが無事でよかったわ……俺、動かんロマを見つけたとき、も、もしかしたらなんて心臓止まりそうやってん。……良かった、ほんま良かった……」
「……そう簡単に死んでたまるかよ、ちくしょーめ」
 思わず怒鳴りつけてやろうかと思ったけど、スペインが声を震わせながらあまりにもホッとしたように言うから、しょうがねぇと思って腕をこいつの背中に回してやった。寒いからな。寒いからだからな。
 スペインの首筋に顔を埋めたのも、すべては寒いからだからな。息を吸ったらスペインのにおいがして、少しホッとしたのも、寒いからなんだからよ。
「それにしても、何で家におるん?しかも連絡もせんと」
 そういやそうだったな、と思って顔を離してこれまでの経緯を話すとスペインの顔がちょっと険しくなった。俺があまり好きではない、この顔。小さい頃よくこの顔で叱られたもんだ。だから今でもこの顔を目にするとちょっと腰が引ける。
「なにしてん! ちゃんと携帯電話くらい持ち歩きぃや! それに、どこかの家で電話借りて俺に連絡とるなりあるやろ! こんな、こんなにロマの手冷たくなってもうたやないか! ちゃんと自分の体は大事にしぃ!」
 やっぱり怒られた。気まずくて顔を背けて口を尖らせる。そんなこと言われなくたってわかって……はないな。誰かに電話を借りるってこと、完全に頭になかった。でも俺が謝る筋合いはどこにもねぇと思ってたんで、意地でもそっぽ向いていたら、ため息をつくのが聞こえてきた。
 呆れられただろうか。こいつに嫌われるのは、いやだ。慌ててスペインを見ると、俺の右隣に置いてある紙袋に視線が向けられていた。そしてそこから一つ取り出す。多分あれは、俺がさっき取り出したのと同じやつだ。
 まじまじと観察するように、そのレモンを眺めたスペインはそいつに音を立てて口づけた。
「でも、ロマが一生懸命こいつを持ってきてくれた気持ちはほんま嬉しいで。ありがとな、ロマーノ」
 さっきまで怒ってたことなんて忘れたような笑顔で言われたもんだから、俺も思わず素直におう、なんて答えてしまった。喜ぶ顔じゃなくて、驚いて困る顔を見るのが当初の目的だったんだが。まぁ、別にいいか。
 さっ、はよ家入ろうやと伸ばしてくるスペインの腕に掴まって、久しぶりに俺は腰を上げた。

 先に入りと勧められたシャワーを遠慮することなく使った俺は、リビングのソファで一口齧られたレモンを掴みながら寝入るスペインを目にした。時計を見ると、確かにそれなりの時間だ。俺を待ってる間に寝てしまうのもしょうがない。
 サッカーの試合結果を告げるテレビを切ると、リビングは静寂に包まれた。それにしても俺に怒るスペインなんて久しぶりに見たな。いつ以来だろうか。ごくごくたまになら、こいつに怒られるのは悪くないかもしれない。大事にされてるってわかるから。ただ顔が怖いのが残念だけどよ。
 それに、さっき怒ってるときにこいつは「さっさと帰ればよかったのに」なんて言わなかった。俺を突き放さないでいてくれた、その態度が嬉しかった。
 ソファの背に手をかけて、スペインに体重をかけないように両脇に膝をついてソファに乗り上げる。寝息を立てているスペインは深く寝入っているのかもしれない。起きていても別に構わないけどな。屈んで唇ごしに触れたスペインの唇はとかさついた感触がした。こいつリップ塗るのさぼってるな。あれだけ塗れって言ってるのに。
 俺に付いてる分を塗り分けるようにもう一度唇を合わせて、少しだけ舌を差し込んでみる。
 レモンの味がした。俺がこいつのために育てた、レモンの味だった。
Written by BAN 1113 09

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