独立記念日

 一年前には高潔な血にまみれ、抑圧からの解放の熱気に包まれた大路が、今年はたくさんの人手で賑わっている。そこらかしこに色とりどりのバルーンや三角旗が飾り付けられていて、大道芸人たちが日頃鍛えている技を競いあう。口から吐かれた炎が子供たちの歓声を誘い、それが大人たちの笑顔を誘った。
 誰もが思う、あの悪夢のような時代が終わって一年経つのかと。疑心暗鬼にかられ、人間としての尊厳を失いかけたあの凄惨な時代はまだ記憶に新しいが、それでも一年という区切りがついたことで人々は肩の荷を降ろす。
 幼な子は調子の外れた歌に乗せて前皇帝の最期を楽しそうに歌う。大人たちは酒を酌み交わしながらゼロの勇姿を称える。誰もが楽しげに踊り歌うカーニヴァル、そんな中群衆が二つに割れていく。まるで波が割れるかの光景に、まだ見ぬ人々はその理由を求めて首を伸ばし……そして笑顔で行列のために道をあけていく。
 パレードの先頭に立つのは英雄・ゼロ。街頭からの声援に応えるかのように、ビークルに乗って手を半ば挙げている。身に纏うマントと仮面は去年と変わらず黒く光を湛えていた。その横にはブリタニア共和国の初代代表である、ナナリー元皇女が控えめに手を振っていた。悪逆皇帝の実の妹ということで世間の反応は冷たいものだったが、この一年の間の彼女の功績が徐々に認められ始めていて風当たりも少し和らいで来ていた。
 彼らが乗るビークルの後には、今日のメインイベントでもある、灰色の石像が引かれていた。長さ10mほどのそれがゆっくりと運ばれていき、少しでも眺めようと人々が詰め寄る。
 その石像は平和の証として、独立記念日に当たる今日のために数ヶ月かけて作られたものだった。制作者はこの像に平和への祈りを込め、また礎となり、後世にこの像を見る度に今ある平和を思い出してもらうように精魂を込めた。その甲斐あって、この像からはえも言われぬ威圧感を人々に与えた。
 まさに首都に飾るにふさわしい代物だ。誰かがそう叫ぶと、周りの群衆も釣られて賛同し、その一体感は次第にゼロへの感謝を叫び始めた。ゼロ、ゼロ!
 それは昨年にあった出来事を、まるで再現しているかのような叫びだった。

 石像の設置を見届けた後、ナナリーとゼロは用意されていた賓客室へと案内された。労るように少女の車椅子を押すゼロは表情が見えぬものの仕草から慈愛が感じられた。その三歩後ろを護衛として、一人の女性が付き従っていた。オリエンタルな雰囲気を纏う、スレンダーな彼女の身のこなしは鋭く、見る人が見ればただ者でないことがわかる。
 ナナリーの横には、今回のフェスタの企画者である都知事の男性が付き従っていた。本日の祭りの盛況の程や、国内の景気の回復具合、首都であるこの街の復興状況を時間を惜しむように話し続ける彼から話題は尽きない。そんな一方的な対話にもナナリーは疲れた顔を見せずに相槌を打っている。時には自分の意見も述べてみせ、とても15歳の少女とは思えぬ堂々とした態度を示した。都知事が彼女を単なる象徴としてではなく、実体を伴った代表であることを内心舌を巻いた頃、先導していたSPが一つの部屋を指し示した。
 この建物は独立記念公園の庁舎として建設されたもので、貴賓室といえど目を見張るような豪華さはない。けれども室内の調度品は質の良い物で揃えられていて、趣味の良さが伝わってくる。元皇女が満足そうに微笑んだのを見て、都知事は肩をなで下ろした。
「ささやかではございますが、この後食事会を設けております。この日のために厳選した素材をただいま一流のシェフが調理しておりますので、今しばらくお時間をいただけますでしょうか」
「よしなに致してください。ただ、準備が出来るまで私たちだけにしていただいてよろしいでしょうか?」
 可憐な柳眉を下げたその言葉に、すぐ後ろにいたゼロが慌てたように声を上げた。ホストに席を外してほしいなどと、無礼にも程がある行為だ。案の定都知事は困惑気にゼロとナナリーを交互に見る。ゼロもナナリーの正面に回って腰を屈めて彼女の真意を問うように、藤色の瞳を見つめる。揺れることなく彼を見据えるその目に意志の堅さを理解したゼロは、言葉少なく都知事に詫びると車椅子を押して室内へと足を踏み入れた。呆然とそれを見つめる彼に会釈をしながら東洋人の女性が通り過ぎると、扉はゆっくりと閉ざされてしまった。残されたSPと都知事は呆気にとられた表情で顔を見合わせた。

 扉越しに、ではまた後ほどお呼びいたしますと困惑気に声を掛けられた気配が去っていくと、ナナリーはホッとため息をこぼした。警護のためにSPが扉の前に残っているようだったが、彼らは職務に忠実なため、室内の会話は気にも止めないだろう。
 ゼロは後頭部の付け根に手を触れ、仮面を取り外す。久しぶりに外気に直接触れた彼の表情は、しかしながら芳しくない。先ほどのナナリーのとった行動に感心していないのだ。
「ナナリー、あまり僕が言えたことじゃないと思うけど、ああいう態度はよくないと思うよ。君の評判が悪くなる。せっかくここまで築いてきた君の努力が」
「今日くらい、いいじゃありませんか」
 笑顔で告げられたその言葉にスザクは固まった。一見すると祭りにはしゃぐ年相応のかわいらしい少女のわがままにしか聞こえない。けれど、彼女の目がそれを否定する。ナナリーの心を表すかのように透き通っている藤色が今では暗く光を反射せずにどろりと鈍い。
 スザクはその目を見ていられずに目を背けた。しばしの沈黙の中、お茶を準備しようとする咲世子が立てる食器のこすれる音が響く。
「私が築いたものなんて、偽善でしかないんですよスザクさん。私はかつてフレイヤをこの手で打ちました。国民をたくさん殺したのです。そんな私がどれだけ表面を取り繕って人に優しくしても、その行為の無意味さは私が一番よく知っているんです」
「ナナリー……」
 スザクが眉根を寄せた。呼び掛けたのか、思わずこぼれてしまったのか、自分でもわからないまま彼女の名を呟く。自らを突き刺すかのようにあえて辛辣な言葉を選ぶナナリーが痛ましかった。しかし慰めの言葉は容易に言える物ではなかった。彼女の言葉はそのまま自分にも当てはまるのだ。呪いに掛けられていた、そんなことは言い訳にもならない。あれから一年以上経つが、夜中に自分の叫びで目を覚ます日々が続いているのだ。
「……ごめんなさい、私ずるいですね。スザクさんが言い返せないのをわかっていてこんなことを言うなんて」
「今日ぐらい、いいよ。それくらいのことはさせて」
 せめて自分が手に掛けた兄の代わりに、彼女の叫びを受け止めてやりたい。それがまだ治っていない自分の傷を抉るようなものだとしても、彼女にはそうできる権利があるのだ。
 ああ、そうか。自分はなにも変わっちゃいない。スザクは鼻を鳴らした。自分が犠牲になって、それで満足してるんだ。死にたがりのスザク、おまえはあの頃のままなのだ。ナナリーの駄々を紳士ぶって受け入れてる振りして自分の存在価値を確認している、マゾヒストなんだ。
「ねぇナナリー。一年というのは長いようで短いね」
 段々彼の記憶が薄れていくけれども、その分自分が成長できたわけでもない。何だかこれじゃあルルーシュが忘れられ損じゃあないか。
「そうですね、本当に、本当に。心からそう思います」
 ナナリーはルルーシュが居たときには見せたことのない、薄らとした笑みを浮かべた。
 僕らは彼から独立するには、まだほど遠い。

*** *** ***

 誰にも食べられぬことなく捨てられる一人分の食事と二人分の食器を片付け終わった後、ソファで横になっていると、微かに低い、大地を揺るがす音が聞こえた気がした。傍らに寝そべる彼女にも聞こえたのだろう、顔を持ち上げて音の聞こえてきた方向を探っているようだ。 こうした行動をするアーニャは実に年相応だ。そろそろ17になる少女はこの農園で日がな太陽の下オレンジをいじっている。健康的な行為とは裏腹に表情や声の調子を変えることが少ない子だが、ふとした拍子に年齢を感じさせる。なし崩し的に決まったこの生活だが、そう悪いものではない。
「ベランダに出てみるか?」
 そう尋ねても首を縦に振るだけだ。声をあげようともしない。けれどむくりと起きあがったアーニャが私が立ち上がるのを待っている、そんな仕草を見ると彼女との絆はずいぶんと深まったような気がしてならない。
 手をつなぐわけでもなく、離れて歩くわけでもない。微妙な距離をあけて私たちはベランダに出た。満天の星空はきらきらと輝いて、少し肌寒さを感じさせた。見るとアーニャは二の腕を抱えて肩を震わせている。ほっそりとした体は見ているこちらも寒そうに思える。自分が着ていたカーディガンを脱いで手渡すと、彼女はじっと私の目を見つめてきた。
「あなたが寒くなる」
「いいんだ、これを着なさいアーニャ」
 さぁ、と念を押すとようやく彼女は受け取ってくれた。袖を通すと裾にしろ袖にしろ、相当布が余ってしまうのも致し方のないことだが、それがまた愛らしい。
 彼女にかかっていたギアスを解いたことをあのお方に説明した時、身よりのない彼女の身の振り方を私に任せてくださったご判断は実に正しいものだったと最近感じ入る。あの子と暮らし始めた当初は彼女の世話を焼くことで、あの方を失った悲しみを誤魔化していた。そのつもりで、アーニャを私に任せたのだと長い間思っていた。
 けれどきっとあのお方は、ギアスによって運命を狂わされてしまった彼女を救うために私に預けてくださったのだ。最近少しずつではあるが、自分に甘えるような仕草を見せてくれるようになったアーニャが愛おしい。一時は人としての心すら忘れてしまった私に、遣えるべき主を失って打ちひしがれていた私に、暖かいものを与えてくれた。
 ルルーシュ様、あなたはきっと彼女との生活で私が立ち直れるものと信じていたのでしょうか。貴方を想う時、悲しみではなく愛おしいと思えるようになったのも、彼女との生活の賜物のように思えるのです。
 三人分の食事を作るのは今日で終わりにしよう。手の付けられることなく捨てられる食事など用意せずとも、もういいのだ。彼への哀悼をわざわざ形に出さなくても十分だ。一人分の食材を無駄にするより、その分で何か一品費やすほうが彼も喜んでくださるのではないだろうか。
「アーニャ、明日からは二人で食べるとしよう」
「……そう」
 どこか遠くで聞こえた花火の音の後、アーニャが呟いた。
 本日にて喪を明けさせていただきます、ルルーシュ様。
Written by BAN 0928 09

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