闇夜に飛ぶ蝶

 久しぶりに飯でも食いに行かん? と声を掛けられて俺はのこのことやってきた。スペインと一緒にいると胸が苦しくなるってわかっているのに、一緒にいられることが嬉しかった。スペインの時間を俺が共有できるのが幸せだった。でもすごく不安になる。この幸せは長く続かないって俺は知っている。そんな都合のいいことなんかどこにもありはしない。
 街灯から少し離れた道の脇に白い物体があるのが見えた。三歩前を歩いていたスペインが先に塊の正体に気づいて「蛾か」と呟く。
「気持ち悪い」
 ああそうだろうな。その言葉がすとんと胸に落ちた。馬鹿弟は蝶、俺は蛾だ。綺麗なものはあいつ、人から嫌がられるものが俺。昔からそうだった。きっとこれからもそうなんだろうと思う。今スペインは俺のことを蝶だと思って可愛がっているのかもしれない。けれどいつか想いを伝えたら、スペインは俺のことも気持ち悪がるに決まっている。
 足を止めて蛾の死体を眺める。スペインに拒絶されたら、俺はこうなるんだろうか。羽を広げたまま息絶えた蛾。一見すると生きているようにも見えるが、よく見ると息はない。
「ロマーノ、何しとるん? はよ行くで」
「うるせー」
 こうして憎まれ口を叩くけど、本当はあいつに名前を呼ばれることがうれしい。たった数文字の組み合わせなのに、それがスペインの口から発せられるのがとてつもなく幸せだ。俺が均衡を破ることさえしなければ、スペインは俺を蝶だと愛でてくれる。
 でも俺は愛でてほしいんじゃない、愛してほしいんだ。偽りの蝶じゃなくて、ありのままの蛾の自分を愛してほしい。けれど俺からその均衡を破ることは出来ない。この幸せを失うのが怖い。
 足早にその虫から離れて、スペインの三歩後ろをまた歩き始めた。


 あんなに小さかったロマがいつの間にか俺より大きくなっていた。この子は俺が守ってやらなければ何も出来ない子では最早ないのだと、それに気づいたとき思った。
 ただでさえ俺を突き放すような言動をとることが多かった子供だ、独り立ちしてからは余計に俺の干渉を嫌った。気がつけば自分の知らないロマがどんどん増えていった。今もそうだ。
 どうしてロマは俺の後ろを歩くんだろうか。前は俺と並んで歩いてくれたのに。やっぱり、無理に食事に誘ったのが気に障ったのだろうか。本当は行きたくなかったんだろうか。ロマのことがわからない。本心を聞くのがとても怖かった。
 ふと視界の隅に白い何かが写る。目を凝らしてみると蛾だとわかった。
「蛾か。気持ち悪い」
 まるで自分のようで。死ぬとわかっているのに灯りに群がるこいつらと、嫌われてるとわかってるのにロマを構う俺と何が違うというのだ。どっちも愚かだ。しかしこいつらはいい、虫なのだから。俺は虫と同等なのだ。
 足音が途切れたな、と思って振り返ってみるとロマが足を止めていた。そんなに俺と飯が食いたくないのだろうか。それならどうして、声を掛けたときに首を縦に振ったんだろうか。気を持たせるようなことは止めてほしい。もしかしたら、と期待して冷たい言葉を投げられるのは堪えるものがある。
「ロマーノ、何しとるん? はよ行くで」
「うるせー」
 やっぱりだ。開いた距離を詰めるでもなく、他人行儀に俺より後ろを歩くロマ。肩を揺さぶって、ロマの本心を問い正したいと思う。けれど俺にはそんなこと出来ない。こんな歪な関係でも、失うのが怖かった。
Written by BAN 0821 09 改題改訂 1114 09

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