願い

 ルルーシュが斑鳩の部屋にこもって、早半日。ジェレミアもそれだけの時間、ドアの前で立ちっぱなしだった。日の光が差し込まないこの場所にいると、時間の感覚がなくなりそうなものだった。
 しかし先ほど犬でも見るような目でジェレミアを見やったC.C.が気だるげに腹を押さえながら部屋から出てきたので、一般人にとっては今が食事の時間なのだということが彼にもわかった。C.C.の腹時計は実に正確だ。
 彼女が出て行って暫くしても部屋から出てくる気配のない主のために、少しの間その場から離れた。ちょうど通りかかった見知った顔の団員にゼロの食事を持ってきてくれるよう頼むと、すぐさま元の位置に戻る。ジェレミアは数秒ですら主の元から離れていたくなかった。主の母君を守りきれなかった不覚は彼の心に今も深く根付いている。
 部屋の中の気配に変化がないことに内心安堵のため息をつくと、扉に背を向け直立不動の姿勢をとる。
 いつもと変わらない彼の日常。しかしただひとつだけ、今日はいつもと違うことがあった。

*** *** ***

「おいジェレミア、今日はお前の誕生日だろう」
 本日の夕食です、と差し入れたジェレミアは端末を猛スピードで操りジェレミアにはよくわからない計算を続けるルルーシュに声をかけられ、大層驚いた。
 それが顔にも出てしまい、ルルーシュは不機嫌そうに眉根を寄せた。それを見てジェレミアはあわてた声をあげる。
「いえ、すみません。その、殿下は非常にお忙しそうでしたので、まさか私の誕生日など覚えておられるとは夢にも思わず……無礼な真似を致しました。申し訳ありません、ルルーシュ様」
「ふん、俺をそんなにつまらない人間だとでも思っていたのか? 身を粉に働いてくれる忠臣を労うのも、当然の義務だ」
 ジェレミアの真摯な謝罪に気を良くしたルルーシュは端末を休止させると、コンソールが並ぶ小部屋から居住スペースへとジェレミアを伴って移動した。ジェレミアは彼の後ろで、感激に胸を震わせている。ブリタニア皇族でもあるルルーシュに自分ごときの生年月日を覚えてもらっていたとは。このような出来事がなければ雲の上の存在だった、ルルーシュ様に。
「喜んでもらえて何よりだが、なにかプレゼントくらいはさせて欲しいものだな、ジェレミア卿?」
 ソファーに腰掛けたルルーシュが夢見心地のジェレミアにからかい混じりの気取った声をかけると、慌ててジェレミアは夕食のプレートをその前に置く。
 しかしルルーシュがそれには手をつけず、自分をじっと見つめているのにジェレミアは困惑した。その視線はジェレミアの応えを促していて、貴方がいればプレゼントなどいらないと言う応えは返せそうにない。
 しかし、主にプレゼントを強請るなどど、と騎士の自負があるために、物品など言えるはずもない。ジェレミアはほとほと困って、眉尻を下げてしまった。
「そう困るなよ。俺が悪いことをしてるみたいじゃないか」
 傍から見るとその通りなのだが、当人たちにはその自覚はない。
「何か俺にして欲しいものとか、そんなものはないのか? 何もないというのだけはやめてくれよ」
「と言われましても……」
 主にこう言われてしまえば、何もいらないなどと言えるわけがない。しかし臣下の身で主に物を強請るなど不相応だというのに。
ジェレミアは主の命と自らの矜持とを秤にかけ悩みに悩んでいたが、どちらとも決めかねている。
「……!」
 だが、突然ジェレミアは閃いた。この天秤を水平に保つこれ以上ない妥協案を。
「では、私に手を差し伸べてください。そして私が甲に口づけするのをお許しください」
「そんなもの、プレゼントなどではないぞ」
 ルルーシュは不満そうにジェレミアを睨み付けたが、彼もこれ以上の妥協案など思いつかなかったので必死にくらいつく。
「私にとっては、とても名誉なことなのです。それを貶す事は殿下といえどご容赦願いたい」
 暫し睨み合う二人。折れたのはルルーシュだった。何も誕生日その日にいがみ合う必要はないのだ、と思い直してジェレミアの意見を生かすことにした。
 大きなため息をひとつ零すとソファーから立ち上がり、ジェレミアへと向き直る。ジェレミアは主の前に膝をつく。投げやりに出された腕をそっと受け取ると、かの甲に己の額をあてた。
 ジェレミアにとっては思いつきで発した願い事だが、口に出してみるとこれ以上の光栄なことはないように思えた。いつもと変わらない斑鳩の一室がとても神聖なものに思えてきた。
 この手に、変わらぬ忠誠を。想いを改めて、甲にそっと触れた唇で誓った。

*** *** ***

「しかし俺は諦めていないからな」
 一連の出来事の後、ほわほわと幸せそうな笑顔を浮かべるジェレミアにルルーシュは指差して宣言した。
「いいか、俺はこれがプレゼントだと認めていない。こんなのが欲しければいつだって言えばくれてやる」
 すぐさま反論しようと開きかけたジェレミアの口を睨むことで抑えると、ルルーシュは続けた。
「何か俺にして欲しいこととか、貰いたいものがあったらすぐに言え。いいか必ず言うんだぞ、でなければお前を俺の護衛の任務からはずして玉城と仲良く掃除してもらうからな」
 その、ジェレミアにとってはこれ以上ない罰に慄き震えた。この方はなんて恐ろしいことを考えるのだろう。思わずYes,your majesty!と応えを返してしまったジェレミアは、その後ルルーシュから付け加えられた一言に焦りを覚えずにはいられなかった。
「ただし一年以内だからな。そうじゃないと誕生日プレゼントの意味がないからな」


後にジェレミアが告げた願いは……
恋人としてのもの
家臣としてのもの

















 男だけの合コンという苦行の後。
「ルルーシュ様、私浮かびました、欲しいもの」
 トボトボと後ろを歩いていたジェレミアが突如声をあげた。正直さっさと帰って寝てしまいたいルルーシュだったが、先ほどの光景からしてこいつが黙ってるわけないだろうなともわかっていたので、この後の展開が読めるようだった。
 (おそらく、声を震わせながら「私と……)
「わ、私と先ほどのゲームをもう一度してください!」
 振り向いてみれば案の定声を震わせながら、どこで買ったのかチョコ掛けの棒菓子としてメジャーな箱を差し出すように腰を折って頼むジェレミア。あまりの予想通りさにルルーシュは鼻白んだが、ぷるぷると震える腕と髪から除く耳が真っ赤になっていたことをいじらしく思い、許してやることにした。
「……さっさと袋を開けろ」
 その言葉に勢いよく顔を上げたジェレミアは、憮然とした表情で顔を背けているルルーシュに喜びを露わにした。見捨てて歩き去っていないということは、このそっぽ向いているのもポーズに間違いない。主と忠臣としてだけではなく、恋人として時を重ねてきたジェレミアには確信できた。
 いそいそと袋をあけて中身を口に咥えスタンバイするジェレミアにルルーシュは今更ながら照れてしまい、声高に命じた。
「絶対に、いいか絶対だぞ? 絶対に目を開けるんじゃない。それとお前の方から食べるな、お前はジッと待っていろ。何もするなよ」
 小さく、俺からするからと付け加えられた一言にジェレミアの残った生体部の毛穴が総毛だった。身分の差というものを感じずにはいられないけど、恋人になれて本当に良かった。ジェレミアは勇気を振り絞った過去の自分に感謝した。
 いくぞ、と声を掛けられジェレミアは右目を閉じる。それだけで彼には何も見えない。ただ、ルルーシュの気配は間近に感じられ、彼がポッキーを咥え込んだ感覚が伝わった。
 少しずつ、カリ……カリ……と噛み砕かれ、それに伴いルルーシュの存在感が大きくなる。幾度か咀嚼音が聞こえた頃、ルルーシュの手がジェレミアの首に回され、ぐっと二人の距離が近づく。互いの息が互いにかかった。
 小さく吐息を漏らしたのはどちらだったのだろうか。ルルーシュは迷うかのように数瞬動きを止めると、残り少ない距離を一気に詰めて、菓子ごしではなくジェレミアの唇に直接触れた。
 予期せぬ動きにジェレミアがびくりと体を震わせるが、すぐに両手をルルーシュの腰に回してより深く抱き合った。そしてルルーシュからの口付けを堪能しようとしたところで、無常にもポッキーが鈍い音を立てて折れ、ルルーシュが両手をするっと抜いて離れてしまった。
 僅かに残った菓子を咥え、呆然と目を開けたジェレミア。
「何もするなって言っただろう」
 半眼で睨み付けるルルーシュに何も言い訳できずに、悄然とするジェレミアだった。極上の餌を目の前で取り上げられ、しかもそれは自分が主の命に逆らってしまって、自業自得。全ては自分が悪いのだ。
 それでもルルーシュ様は私とあのゲームをして下さったのだから、と自分を自分で慰めることに必死だったジェレミアは気づかなかった。
「だが」
 唐突に上げられた声にジェレミアは視線をルルーシュに向ける。ルルーシュは憮然としたままの、だがほのかに上気した顔を背けながら続けた。
「まだ袋にいっぱい残ってるし、もっと付き合ってやっても……いいぞ」
 再びジェレミアは顔を輝かせて首を縦に何度も振った。



家臣としてのものを見る



















 ゼロレクイエムが明日へと迫った晩、ルルーシュは玉座の間からジェレミア以外の全ての者を払った。
「陛下、私に腕を貸してはいただけないでしょうか」
 膝をついて申し出るジェレミアはいつぞや斑鳩での願いを髣髴とさせたが、その時とは違い二人の間には物理的な距離が大きく開いていた。その距離は自分が本当の願いをどれだけ言っても決して聞き入れてはくれない、踏み込ませてくれない心の距離を暗示しているようで、ジェレミアを憂鬱とさせた。
「ならば側に来い、ジェレミア」
 まるで表情を読ませないルルーシュは、自分が明日死ぬことへの恐れなど微塵も感じさせない。そんな気配を僅かでも感じとれば、どれだけ仲間たちから、主から責め立てられようとも誰も知らない場所へと攫っていくというのに。ルルーシュの強さが、悲しかった。
 ゆっくりと時間をかけて、ルルーシュの元へと歩み寄る。おそらく最後になるだろう、二人だけの時を少しでも長引かせるために。ルルーシュもその気持ちをわかっているから緩慢なジェレミアを咎めるようなことはしなかった。
「それで?」
 玉座まであと一歩というところで膝をついたジェレミアにルルーシュは腕を伸ばす。ジェレミアは大切そうに、恭しく両手で受け取った。
「甲に口付けするのをお許しを」
「ジェレミア卿……前に言ったと思うが。こんなもの欲しければいくらでもくれてやると」
「いえ、願いはこれから言うことです。『俺にして欲しいことを言え』とおっしゃられたその願いを」
 ルルーシュの瞳が光を反射した。面白そうだといわんばかりに。こんな時になって、主の少年らしいしぐさに気づいてしまうとは。
 ルルーシュがまっすぐジェレミアを見据える。ジェレミアはその視線を受け止め、口を開いた。
「わたしに、俺以外の主を持つなとお命じください。それが私の願いです」
 その言葉を聞くと、ルルーシュは今まで浮かべていた表情の一切を消した。睨むことも、激昂することもない。かといって、許すというわけでもない。
 ジェレミアはルルーシュが口を開くのを待った。辺りを静寂が支配する。
 どれほどの時間が経っただろうか。ルルーシュは未だ無表情のまま言葉を紡いだ。
「それはわざわざ命じることか? お前は既にそうすると決めているだろう。それに俺の死によって時代は変わる。お前が再び誰かに仕えるということもなくなるだろう」
 ジェレミアは淡々と告げられた言葉に即座に反論する。今度はルルーシュに睨まれようとその口を閉じなかった。
「そういうことではないのです。確かに陛下のおっしゃることは正しい。私はもう騎士となることはないでしょう。貴方以外の誰に仕えられましょうか。ただ、仕える主を失い騎士の本懐も遂げられぬ哀れな男の為に、一言、たった一言でいいのです。貴方の言葉で私を縛ってくださいませんか。ギアスの効かぬ私にせめて、貴方の言葉で偽りのギアスを掛けてください。そうすれば私はそれを支えに生きてゆくことが出来ます。どうか、どうかお願いです」
 しばし二人が見合う。主からの無言の圧力にジェレミアは屈するわけにはいかない。たとえ自分から頼んだことでも、ルルーシュが言葉発したことで少しでも責任を感じてくれればいい。自分の未来を縛ることで、少しでも死の直前まで自分のことをいくらか考えてくれれば。そんな浅はかな、薄汚い自分の願いを叶えてくれるのは目の前の、青年というよりは少年というべき彼だけなのだ。長い長い沈黙の後、ルルーシュは重い口をようやく開いた。
「俺は明日死ぬ。そして俺のことはすべて忘れて、新しい生活を始めてもらいたいと思う。お前の気持ちを知っていて、最後まで利用しようという最低な俺のとこなど忘れてしまったほうがいいに決まっている」
 ルルーシュはぎこちない、けれど飾り気のない笑みを頬に浮かべた。
「でも、そんな俺でもいいと言うのなら、こんな俺に縛られてくれるのなら……その願い、叶えさせてくれ」
「貴方がいいのです。有りの侭の貴方だからこそ従い、愛おしいと思ったのです。……ありがとうございます、このような願いを聞き届けてくれて」
 捧げ持った手にジェレミアは頬を押し当てた。

*** *** ***

「ジェレミア、俺以外の主を持つな。お前の主は俺一人だ。他の誰かにおもねることは決して許さないからな」
 ジェレミアの願いを復唱するルルーシュの声にはどこか慈しみが感じられ、内容も相まって愛の告白に思えた。
 付け加えられた内容が本心かどうか、何故こんなにも優しく囁くのかとルルーシュに問いただすことはしなかった。ルルーシュが告げようとしないことを聞くのは、良しとしない。この望みを叶えてもらえただけで、ジェレミアは十分だった。
「Yes……Yes,YOUR majesty」
 二度目の手の甲へのキスは、涙の味がした。




恋人としてのものを見る
Written by BAN 0812 09

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