小噺1

 なんだか、誰かに見られているような気がする。それは例えば、登校途中だとか、ネルフからの帰り道だとか、朝起きてカーテンを開いた時だとか。
 完全に室内にいる時にはそんなこともなかった。(ただ監視カメラはついているんだろうけど)
 ネルフの諜報部が僕を監視しているんだろう。以前逃げ出した時もそうだったから。初めはそう思った。でも何だか違う。この視線は、空から感じる。そんな気がするんだ。

「あの、ミサトさん。ちょっと……聞いてもいいですか?」
 人工食材で作ったおかずや肴をテーブルの上に並べて、揃って頂きますを言った後。ミサトさんがビールから口を離した時を見計らって、思い切って質問してみた。ミサトさんは僕からの質問がよほど珍しいのだろう、眼をパチパチさせている。
「めっずらしいわねシンちゃんが〜。良いわよ、お姉さんに答えられることだったら教えてあ・げ・る」
 私のスリーサイズかしら? シンジくんも立派な男の子ねーなんて一人で言ってどこがおかしいのか一人で笑い転げている。ちょっとウンザリしてもいいかな……。
「そんなんじゃないです! あの、僕って諜報部が見張ってるんですよね、四六時中」
「……そうよ。貴方は大事なパイロットですもの、何かあったら大変だしね」
 自嘲するように鼻を鳴らしたミサトさんは、またビールを一気に煽る。咽喉が五回ほど鳴って、それを離した。
「ただ、シャワーとトイレはカメラ付いてないから安心してマスかいて良いわよ、シンちゃん」
 マッママママ!
「ミ、ミサトさん! 何馬鹿なこと言ってるんですか! ぼぼぼ僕はそんな……そんなこと」
 茶化すかのように半眼で口端をあげてそんなことを言うミサトさんは、僕の必死な反論にも満たない反論を肴にするように、変な笑い声をあげてビールを傾けた。その角度から残り少ないことを察した僕は、この妙な雰囲気を振り払うように、冷蔵庫から新しいビールを取りに行く。ペンペンが必死に魚を飲み込んでいる横を通って、冷蔵庫の扉を空けると半分くらいがビールのラベルが並んでいる。ミサトさんが思いっきり飲んでるのに、なんでこの量が減らないんだろう……。
 ミサトさんは忙しくて買い物に行く時間ないはずだし、僕が買ってきてるわけじゃないし。不思議に思いつつ、その内の一本を取り出しミサトさんの前に置くと陽気な声で礼を言われた。そしてついでに窓を開けて頂戴とも。
 なんだか僕、良いように使われてるよね……。ため息をつきながらベランダに向かうと、そこであのいつもの感覚がした。誰かに見られている。それも、上から。なんとなく夜空を見上げて見ても、そこにあるのは丸い月一つきりで、監視している人やヘリが見えるわけない。
「ねぇミサトさん。さっきの話の続きなんですけど、ネルフって確か衛星持ってましたよね。それで僕を監視したり出来るんですか?」
 プルトップを開ける音が響く。ミサトさんは何も言わずに咽喉をグビグビと鳴らしている。でもきっと聞いてくれているはずだ。誰だって、貴方は監視されているなんて何度も言いたくはないに違いない。だから僕もミサトさんに背を向けたまま、月を見てそのまま続けた。
「僕……何だか自意識過剰って言われそうですけど……ふとした拍子に誰かの視線を感じるんです。さっきミサトさんは諜報部の人が見張ってるって言ってくれたじゃないですか。でも……なんだかそれとは違う気がするんです。何と言うんでしょか……見張っているというより、見守られているというか……そんなに嫌じゃない気配で。それが空から感じる気がするんです。だから、ひょっとしたら……か、母さんが僕のこと見守ってくれてるんじゃないかって。……そんな馬鹿なこと、考えたりするんです。だから言ってくださいミサトさん、ネルフでは衛星を使って僕を見張ってるんだって。そんな馬鹿なこと、あるわけないじゃないって」
 自分でも何を言ってるのかよくわからなかった。途中で、もうやめようミサトさんだってきっと呆れてる、なんて冗談ですって言えば、ミサトさんは明るく流してくれる、さっきのように。そんなことを思ったのに口は止まらなかった。
 ミサトさんは何も言わない。僕も、黙って月を見る。ペンペンが魚を咀嚼する音だけが聞こえる。その沈黙が痛くて、馬鹿なこと言わなきゃ良かったって自分を穴に埋めてしまいたいと思った頃、ミサトさんが口を開いた。
「シンジくん、確かにウチは衛星を所有しているわ。それは非常時のため、一個人を日常的に見張っているということはないの。だから、それはシンジくんの勘違いかもしれない」
 やっぱりそうだ。自分の幼稚さに顔が思わず赤くなる。どうしよう、ミサトさんに気づかれてないかな。どうしようもないいたたまれなさに苛まれて、部屋に飛び込もうかと考えた時にそっと肩に手を乗せられた。
 近づいていたことに気づかず、驚きのあまり跳ね上がりかけたけど、ミサトさんが振り向くなとでも言うように優しく、けれど意思を持って僕を背後から抱き込む。
「でもね、シンジくん。私は亡くなったお母さんはどこかで貴方のこと見守ってくれていると思うの。それは空からかもしれないし、夢の中かもしれない。もしかしたら思いがけないところかも」
「……何でそう思うんですか」
「だって、母ってそういうものだもの。自分が亡くなったら、子供のことが心配で心配で。きっと成仏なんて出来ないわよ」
 何ですかそれ、理由になっていませんよ。そう言って笑い飛ばそうとしたけど出来なかったのは、思い当たる部分があったからだ。この町に来て、母さんのにおいを思い出すことが多かった。先生と住んでいたときはそんなことなかったのに。空から誰かが僕を見ている気がするなんてこともなかった。
 だから、ミサトさんの腕を軽く叩いて離してくれるようにお願いすると、すっかり汗をかいてしまった缶ビールにあう肴をもう一品作ってあげようと台所に向かった。
 小さくミサトさんにお礼を言って。ありがとうミサトさん、馬鹿なことだと笑わないでいてくれて。
「さぁーて飲みなおすわよー! シンちゃんも一本どう? 大人への階段よー!」
 普通の家族みたいなやりとりが、心がぽかぽかしてとてもくすぐったかったけど、悪くなかった。





「どうしたタブリスよ、不機嫌そうだな」
「別に」
Written by BAN 0704 09

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