修学旅行ネタ

 高校生ともなれば、23時の就寝時間など守るはずもないというのは重々承知している。健全なる若者が眠りにつくにはあまりにも早すぎる時間だ。
 しかし、あまりに堂々とホテル内をうろつかれてはさすがに一教師として注意をせざるをえない。ましてや、部屋には置いてないはずの浴衣を身に着けているとなれば余計に釘を刺さねばなるまい。
 ジェレミアは教師としての使命感を帯び、大浴場の近くの休憩場で座っている生徒に注意せんと足を進める。その生徒は着慣れていないのか浴衣のあわせが肌蹴ており、うっすらと赤く火照った肌が露出している。黒い髪はしっとりと湿っており、立派な教師であるジェレミアが妙な色気を一瞬感じてしまったほどだ。
 いかんいかん、教師ともあろうものが生徒に懸想など。軽く頭を振り、声を掛けた。
「ランペルージ、消灯時間はとうに過ぎているぞ」
「すみませんジェレミア先生。ちょっと寝汗をかいて……内風呂だと同じ部屋の奴を起こしてしまうかと思いまして」
 ルルーシュ・ランペルージは常に学年トップの成績で生徒会に所属していて、膨大な生徒数がいるにもかかわらずクラスの担任でもなく授業を受け持っていないジェレミアでも顔と名前を知っているほどの人物だった。ただジェレミアは完全ではないが、学園生徒全員の顔と名前を記憶する特技があるのだが。
 叱られたことがないのだろう彼は申し訳なさげに眉尻を下げてジェレミアを真っ直ぐ見据えた。彼を見かけるときは常に隙のない表情をしているのに、どこか幼く見える仕草は状況もあいまって、色気があるとジェレミアに再認識させる。本人も気づかぬうちにジェレミアの咽喉が鳴った。
 もう部屋に戻りますので、と慌てて立ち上がったルルーシュは、しかしその勢いのまま膝を折り、バランスを崩した。
「危ない!」
 すかさず手を伸ばしたジェレミアによって、その身体は抱きとめられる。その時ふわりと果実のような芳香が鼻腔に届く。男子高校生らしからぬ甘い匂いに、一瞬ジェレミアは息を飲んだ。
「すみません、ちょっと……立ちくらみが……」
「ゆ、湯あたりでもしたのだろう。すぐに戻らなくともよいから、しばらくここで休むといい」
 舌をもつれさせながらも、意識して顔に出ないように気を遣う。たとえ一瞬でも教師が生徒に……などと決して悟らせてはならない。ジェレミアの心中は男としての本能と教師としての使命感がせめぎあって、かろうじで理性が保たれている状態だった。
「先生、すみませんが、水をいただいてもいいですか?」
 肩を貸し、彼が今まで座っていたベンチに腰掛けさせたところで、ルルーシュから心苦しそうに告げられた内容はジェレミアに教師としての本分を思い起こさせた。先ほど感じた劣情を詫びる意味でも快く応じる。
 休憩室に備え付けのディスペンサーから紙コップに水を汲み、ルルーシュに手渡した。その際に軽く触れてしまい何故か動揺してしまったジェレミアは慌てて手を離そうとしたが、彼の空いた手が重ねられ封じられてしまう。
「な、なにを」
「一人では飲めないほどだるくて……腕が持ち上がらないんです。先生、飲ませていただけませんか?」
 この子供は何を言ってるのだ、いやこれものぼせているせいだ、直接指導をしたことはないが彼の評判はすこぶる良いものだ。教師をからかうことなどありはしないはず、そのはずだ!
 ジェレミアもまたのぼせたような思考で、促されるままにコップをルルーシュの唇に近づける。空いたもう片方の手で顎を持ち上げたのも、飲みやすいようにしてやった為で、他意はない。ましてや欲情など、そんな疚しい気持ちなどではないのだ!
 必死に言い聞かせる彼だったが、高鳴る胸と熱くなる頬がそれを嘘だと証明していた。コクリと動く咽喉に見入られ、水の冷たさが気持ちよいのか鼻腔から抜ける吐息交じりの声が聴覚を刺激する。重ねられたままの掌が熱かった。

「……ありがとうございます、先生。もう大丈夫そうです」
「そそうか、それはなによりだ!」
 コップの中の水がなくなるまで飲ませてやると、辛そうに寄せられていた眉間の皺がほぐれていた。もう大丈夫そうだとジェレミアも心からほっとする。この生徒と話していると教師としての自分の矜持がはかなく崩れ去りそうで、恐怖すら覚えていたのだ。
「ねぇ先生、なんで俺の名前を知っていたのですか? 先生の授業は受けてないのに」
「きょ、教師たるもの、全生徒の顔と名前を覚えていて当然だ」
 生徒としては感激しそうなその答えに、しかしルルーシュは舌打ちをした。にこやかな表情のままのそれに、ジェレミアは品行方正なルルーシュがそんな真似をするはずはない、と自分の疲れを察した。
「俺だけ特別じゃないんですね、残念です。……チッ」
 ……まだ疲れているに違いない。ジェレミアは再度頭を振った。
「すみません先生、ご迷惑をおかけしてしまって……あの、よければこの後お背中流させてはくれませんか? お礼、というほどではないんですが」
 ランペルージと風呂。らんぺるーじとふろ。
「先生、先生? ……固まったか。まったく突発的事態に弱い奴だな。この俺が背中を流してやるというんだ、喜んで風呂に入るがいい」
 これまでのしおらしい様子とは一変しての、尊大な調子にジェレミアは反応することもできない。それほど、ルルーシュと風呂という言葉が衝撃的だったのだ。
「練りに練ったらぶらぶちゅっちゅ修学旅行プラン、トリをしめてやるから覚悟しろ、ジェレミア先生!」
 高笑いをしつつジェレミアを大浴場に引っ張っていくルルーシュは、抜け目なく入り口に「清掃中」との札を立てかけた。彼が正気に戻る頃には、逃げ出さぬように囲い込みが終わっていたのだった。
Written by BAN 0516 09

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