いやさきの刻

 ルルーシュのデータは散々シミュレートしたことですっかり頭の中に記憶されていた。ルルーシュ・ランペルージは授業を抜け出し、非合法チェスとマネーゲームで生活費を稼ぐような、決して素行のいい少年ではない。しかし学園生活では生徒会副会長として教師や生徒からの信頼は厚い。そしてここからが僕に関係のあることだけど、彼は非常に妹思いであり、実のところ彼女の為にルルーシュはゼロになったのではないかとすら言われている。それほど彼の中で重要な地位を占めているナナリーの代わりに僕がルルーシュの弟役となる、それが今回の僕の任務だった。
 これまでのように誰かを暗殺するわけでもなく、どこにいるかわからないCC.C.を捕まえるという終わりが見えない任務。つまりルルーシュの弟としての隠れ蓑の生活基盤を完璧にしておかなければならない。
 機情本部にはスーツを着た男が何人か残っている。名前を覚える気もないので、彼らがどういった意図でここに居るのかわからないが、おそらくいざという時の見張りなのだろう。すぐにC.C.が出てくるとは思えないので、いざという時はしばらくなさそうだけれど。
 モニターの前に座っていた男に声を掛け、ルルーシュをアップにしてもらう。黒髪のすらっと長い手足の少年、彼の瞳だけが僕と同じ紫色をしている。まさかこの共通点だけで僕が選ばれたのかと邪推してしまうほどに似て……いや、よく見ると僕より彼の瞳のほうが深い色合いだ。そうだよ、もうこの学園の皆にギアスがかかっているんだ。共通点が全くなくても僕とルルーシュは兄弟と判断されるんだ、問題はない。
 それにしてもあまりの皮肉に僕は笑いたくなる。昔あれほど望んでいた家族を、もうどうでもいいと思うこの年で手に入れるなんて。子供の頃の願いが叶って嬉しいなんて思う殊勝な心なんて最早ありはしない。
 モニターの右下にある時刻を見ると、15時に近づいていた。本日1500を以って僕はロロ・ランペルージとなる。アッシュフォード学園一年生は修学旅行に行っており、その帰校時間に合わせて任務に入るのだ。対して多くはない着替えを纏めたカバンを手に取って立ち上がる。
 部屋に居た人たちが一斉に僕に視線を向けたが、その誰とも視線を合わせずにこれより任務に入る旨を唱和して部屋を出て行った。

「さて……どうしようか。とりあえずルルーシュに会いに行くべきだろうな、4日も離れていた弟としては」

 脳裏に刻んだ学園内の地図を思い起こし、図書室から生徒会室への最短ルートを思い起こす。量としてみると大したことはないけど、やはり学園内で旅行カバンを持ってる人はいないせいで、通り過ぎる生徒の目を引いていた。その後辺りで一年生だの修学旅行だのの単語がチラホラと飛び交う様子を見ると、やはり皇帝陛下のギアスが完璧のようだ。僕が部外者である事など疑う奴は誰も居ない。
 しかし一般生徒にどう思われても、ナナリーと関わりの深かった生徒会、そしてルルーシュに疑われてしまえば意味はない。そう意識し直すと、少しだけ心拍数が上がった気がする。
 階段を降り少しすると、僕の目の前には生徒会室の扉があった。先ほど監視カメラでルルーシュがここにいるのは把握している。他にも生徒会長のミレイと書記のリヴァル、手伝いのシャーリーがいることも知っていた。なんだか今日は書類を纏めなければいけない日のようで、生徒会全員が集合しているということだ。
 つまりはここに居るメンバーさえ乗り切れば、後はナナリーに親しい人はいないのだから問題はない。ここが山場だと思うとじんわりと手が汗ばむのが分かった。V.V.様からの直々の任務、決して失敗するわけにはいかない。息をゆっくりと吐き出し、勢い良く吸い込む。そしてそのまま扉に手をかざした。
 プシュと空気の抜ける音がして扉が開いた。直前まで聞こえていた女性や情けなさそうな男性の声もなくなり、急に静まりかえり僕に注目が集まる。
 バレたのだろうか、皇帝のギアスが甘かったのか!? 急に訪れた沈黙で洗脳が失敗したのかと考えた。しかし彼らの表情を見ても怪訝そうな顔ではない、それよりは寧ろついに来てしまったかというような諦観としているような……?
 ガタンとイスを倒す音にそちらを見るようとすると、その前に何かに抱きしめられた。

「おかえりロロ。怪我はなかったか、熱は出さなかったか? 今日はロロの好きなビーフシチューだからな、昨日の夜から仕込んでるんだ」

 ……初めて会うルルーシュは資料で見たルルーシュとは全然違った。資料では常に冷静で落ち着いた態度だと書いてあったのに、まさか急に抱きついてくるとは思わなかった。しかも昨晩カメラで見たあの料理。その日のうちに食べなかった事を不思議に思っていたのに、今日『帰ってくる』僕の為に作ってるとは思いもしなかった。いや、違う、僕のためじゃない。
 それにしても僕ときたら、てんでダメだ。こんな風に抱きしめられた時に殺す以外に何をすればいいか何も分からない。どうしよう、普通の兄弟ならこういう時にどうするのだろう。ルルーシュの行動パターンについてシミュレートしてくれた教官もこの場合の正しい対応方法を教えてくれなかった。どうしよう、殺しちゃいけないならギアスで時を止めて抜け出せばいいのかな。
 内心で困惑していると、いつまでも反応がないことに不審を覚えたのだろう、ルルーシュが体を引き剥がして、やはり具合が悪いのかなんて僕の瞳を覗き込んできた。間近で見るルルーシュの顔はそこら辺の女性より整っていて、性別を疑いたくなる。僕と同じ色だと思った瞳の色は深い深い、まるでアメジストのような色合いで吸い込まれそうな美しさだ。どうしてこんな綺麗なものを僕の瞳と同じだなんて一瞬でも思ったんだろう。僕のとは全然違うのに。

「ロロ、大丈夫なのか?」
「……なんか疲れちゃって」
「よし、なら帰るぞ。会長、残りの資料は自分でお願いしますよ」
「は〜い。まぁロロが来るまでの約束だったし、しょうがないか。今まで手伝ってくれてありがとね。ロロ、お大事に〜」

 咄嗟に上手い切り返しが思いつかず、在り来たりな言い訳を口にしてしまったけど疑われるどころか心配をされてしまった。心配……労りの言葉なんか今まで掛けられた事がなかった。面倒そうに追いやられて、ただそれだけだった。さっき抱きしめられたように、どう返せばいいのかわからないことが続く。ルルーシュに促されるままに部屋を出るときに皆からお大事に、と言ってもらえてまた困惑してしまった。でもすぐに思い直す。これは皆ナナリーに宛てて言われていることなんだから、僕個人に対してではない。そう思うと気が楽になった。そうだ、ナナリーだからみんなに心配してもらえるんだ。そしてルルーシュもそうなんだ。

「ロロ、荷物貸してくれ。持ってあげるから」
「ぅわ。大丈夫だよ、僕持てるから」
「お前は今具合が悪いんだ。無理はしないで任せろ。……俺だってこれくらいは持てるんだから」

 最後はなぜた膨れた様に言うとルルーシュは僕の荷物をむりやり取り上げてしまった。他人に見られてまずいものは何も入ってないとは言え、ルルーシュに持たれるのは少しヒヤヒヤしてしまった。ターゲットとの過度な接触は余り好ましくない。いずれは殺す必要も出てくる相手だ。無いとは思うが、情が移って殺せないという事態になってしまったら困る。そんなことになったら僕の居場所が……。唯一の取り柄である暗殺すらこなせなくなった僕に一体誰が見向きをするというのか。
 少しルルーシュから距離を取る。まるで心のそれと相対してるみたいで少し大人気ないとは思うけど。家族なんてどれくらいの距離で居ればいいかも僕にはわからない。

 少し歩くとクラブハウスに着いた。ランペルージ兄妹の住居だったところ、そしてこれから僕が住むところ。ルルーシュは扉から一歩入るとくるりと振り返り、実に晴れやかな笑顔でこう言った。
「おかえり、ロロ。一週間ぶりの我が家はどうだ?」
「あ……うん、ただいま――なんだか知らない家みたいでドキドキするよ……兄さん」
 そして僕らの偽りの共同生活が始まる。
Written by BAN 0816 08

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