未知との遭遇
朝比奈は現状に不満を持っていた。今や一大勢力となった黒の騎士団の頭領がゼロである事に。
そもそも朝比奈は藤堂さえ捕まっていなければ黒の騎士団の傘下に入るつもりは毛ほどもなかったのだ。しかし藤堂に付き従っている内にあれよあれよと隊長の任を頂戴してしまい、基盤は固まってしまっていた。日本解放戦線の再起をはかりましょうとも言えずにブラックリベリオンが起き、投獄され、ゼロによって今度は自分自身も助けられ今日に至る。
それ自体は感謝すべきことだと思っているものの、元を正せばブラックリベリオンの最中に姿を消したゼロのせいで黒の騎士団が捕らえられてしまったのだ。
投獄されていた期間は一年ほどであったが、朝比奈にとっては実に長い一年だった。
いつ処刑されるとも知れない日々。日の光も届かない劣悪な環境下。それらは少しずつ彼らの神経をすり減していった。
ゼロへの疑念が不信に変わっていく時間は有り余るほどだった。彼はあの時自分たちを売って身の安全を図ったのではないか。処刑寸前にその疑惑のゼロに助けられても、その考えは常に朝比奈の頭を占めていた。
その疑惑の後押しをしたのは、敵であるブリタニア人がいつの間にか仲間に加わっていて、その上ゼロの親衛隊として傍に置いていることだった。自分に相談がないのはいい、しかし藤堂すらあずかり知らぬことだったということが、朝比奈にはたまらなく不満だ。
片や学生にしか見えない幼い少年。こちらはまだいい、ただの学生が黒の騎士団内で出来る事などたかが知れている。問題はもう一人の男。当時は黒の騎士団に参加していなかったので朝比奈に詳細は分からないが、概要だけなら一般にも広く知られているオレンジ事件。
その当事者のジェレミア・ゴットバルト辺境伯が最近加入したブリタニア人だった。
クロヴィスが総督を務めていた時には日本人虐殺に加担していた生粋のブリタニア人が何故黒の騎士団に加入したのか。どよめく団員たちにゼロからの説明は何もなかった。藤堂はゼロの事だから何か考えがあるのだろうと疑う気配すら見せなかった。
朝比奈も、崇拝する藤堂の意見に表向き逆らう事もせず、その場は堪えた。
だが疑惑はとどまる事を知らない。
元来、朝比奈は悩みにつまったら積極的に解消してきた口だ。よって今回も彼はゼロに直接問いただす事にした。
――コンコン
「ゼロ、朝比奈だ。ちょっと話があるんだけどいいか?」
金属製の扉を叩いて呼びかける。どうせゼロは監視カメラで見ているのだろうと朝比奈は辺りを見回してみた。すると扉の右上に赤く光っているカメラが見つかった。おそらくこれで入室する人を監視しているのだろう。心配性な事で、と朝比奈は吐き捨てた。
突然扉が開く。入れという意図を理解した朝比奈はゼロの私室に足を踏み入れた。二重になった扉の前に立つとプシュっと空気の漏れる音がして、視界が開ける。
部屋内ではゼロが高級そうなソファに座っていた。私室だというのに相変わらず彼はトレードマークの仮面を被っている。
そして視線をずらすと長身の……思わず朝比奈はニンマリと口端を持ち上げた。
(まさかその渦中の人物がいるとはねぇ……)
日本人では到底持ち得ない、灰がかった緑の髪色が特徴的なブリタニア人、ジェレミア・ゴットバルトがゼロの側に佇んでいた。
その視線は朝比奈を見据えており、警戒している様子が見て取れた。
それもそうだろう、決してゼロに好意を抱いていると言えない奴が彼の私室に不機嫌そうな顔で訪れたのだから。朝比奈はその視線に鼻で哂って返してやった。
「朝比奈か、何の様だ」
「ちょっとお話がありましてー……二人きりで話したいんだけどねぇ」
「――ジェレミアのことか? ならばこの場で話しても構わん」
「おや、お見通しとは流石ゼロ。その通り、ブリタニアの色男について聞きたいんだよ俺は。ロロとかいう子供は一体どういう目的で連れ込んだのか知らないが、所詮お稚児さんに騎士団を内側から壊すことなんて出来やしない」
馬鹿にしたような口調で、男色だととからかわれた当のゼロは全く反応を見せなかったが、ジェレミアから凄まじい怒気が伝わってきた。
(どうやらオレンジは騎士団にではなくゼロに忠誠を誓っているみたいだねぇ。こんなあからさまな殺気飛ばされちゃいやでも分かるって)
戦場特有の背筋に走る緊張をこの場でも覚えた朝比奈だったが、怯むことなく尚も言葉を続ける。ゼロは聞き終わるまで口を開くつもりもなさそうだった。
「でもそいつはジェレミアだろ、ブリタニア軍純血派の。そんな奴が黒の騎士団に、しかもゼロの側近にいるってのはまずいでしょ。日本解放のための黒の騎士団がブリタニア人を仲間に加えてるってのは外聞が良くないし、団員には動揺も広がってる。率直に言うとスパイじゃないのか? って声まで上がってるんだよ。そしてゼロからは何の説明もない。これは由々しき事態だと思うんだけど、一体どう思ってるのかな、黒の騎士団の頭領さんは」
「藤堂は、どう言っていた?」
ただそれだけを言ってゼロは再び口を閉ざした。何故ここで藤堂の名前が出るのか、誤魔化すつもりなのかと朝比奈は不愉快そうに口元を歪める。
「別に、ゼロの言うことだから何か考えがあるんだろうって」
「ほう。ならば藤堂が私を信じているのいうのに、部下であるお前はその藤堂の事を信じていないというわけか」
「……その言葉むかつくね」
「しかし現にこうして私に問い詰めに来ているではないか。それが藤堂の意に反する事である以外の説明になるか?」
「藤堂さんは義理堅い人だから、あんたに命を救われたことであんたに信を置きすぎているんだよ。だから俺が、疑わしいものの裏を調べなくっちゃいけないわけ」
その朝比奈の言葉は、ゼロが信用ならないと断言したといっても違いない。しかしゼロは声を荒げたり不快な態度を取る事はなかった。朝比奈が入ってきたときのまま、優雅に座っている。まるで何事にも心を動かされないようで、その態度はますます彼を得体の知れないものに見せた。しかしその代わりに朝比奈の前方からは先ほどの比ではない、常人ならそれだけで身動きが取れないだろう冷たい、殺気とも思える視線が飛んでくる。朝比奈がそちらを見ると案の定ジェレミアが射殺さんばかりに険しい表情で朝比奈を睨んでいた。
(これこれ、こういうわかりやすいのがいいよね。ゼロみたいに喜んでんだかムカついてんだかわかんないよりも、俺こういう方が好きだよ)
ペロリと舌を舐めて真っ向から睨み返す。もし敵同士だったなら即座にKMFで飛びかかっていただろう。それ程に二人は一発触発だった。しかし。
「やめろジェレミア。うっとおしい」
ゼロのそのたった一言でジェレミアは殺気を霧散させてしまった。なんだこれ。朝比奈はあっけに取られた。先ほどの人を殺さんばかりの気配はすっかり静まり、申し訳なさそうな視線がゼロに向けられているではないか。朝比奈は武人だから分かるが、あれ程までに高まった闘気を急に消すのは実に難しい。どうしても警戒のために幾分か闘争心は残ってしまうのが実際だからだ。それがゼロのたった一言で、先ほどの殺気がまるで激減、いや消滅していた。朝比奈は今の目には見えないやり取りで、この男が自分よりも手練だということを理解した。これほどの男が黒の騎士団に加入したことは戦力の増強は大きい。しかし問題はこの男は黒の騎士団にというよりも、ゼロに多大な忠誠を誓っている事だ。
もしもこの先ゼロがこの組織から離反し、敵対する事になった時にこの男がゼロの側に居る事でどれほど苦戦を強いられる事か。
とそこまで思案し、ゼロが黒の騎士団から自主的に離れるという事態などあるわけないと思い直した。自分が育て強大にした組織を誰が自ら手放したがるというのか。
(追放されることならあるかもしれないけどね……)
その際には戦力を削るだけ削っておくことが必要不可欠、そして騎士団内でゼロの立場を不安定なものにしておき、いざという時には藤堂の味方を……。
しかし朝比奈の沈黙を納得いかない故と勘違いをしたのか、珍しくゼロが妥協する言葉を紡いだ。
「そんなにジェレミアが信用できないというのならば、無為な事ではあるが……そうだな。ジェレミア卿、貴公の忠節今この場で見せてみよ」
「Ye――畏まりました」
そしてジェレミアはゼロの前に屈みこむと恭しく踵を手に取り、そのつま先にそっと唇を落とした。勿論日本式ではないので室内といえど靴は脱いでいない。それどころか未だ磨いていないのかうっすらと土埃すらブーツには付いている様だ。それにも構わずジェレミアは万感の想いを込めるかのように唇で触れたまま微動にしない。
それは朝比奈も同じ事だった。ただ彼の場合は目の前の光景のあまりの衝撃に動きが止まってしまっただけだが。純日本人である朝比奈がこんな光景を目にした事など一度もなかった。せいぜいが男女間の睦事の延長線で交わされる戯言で耳にする機会があるだけだった。
ゼロとジェレミアは固まっている朝比奈などには目もくれず、朝比奈には儀式か演劇にしか見えない行為を静謐に続けていく。そしてそれは更に朝比奈に衝撃を与えた。
「ジェレミアよ。もし私がこの先お前をスパイと疑い、その忠義を信じなくなったらなんとする」
「その時は私を死地にお送りください。己の命でもって純忠を明らかにしましょう。私を処分する為に貴方の手を煩わせる必要は、どこにもありませぬ」
ジェレミアは顔を上げまっすぐにゼロを見つめる。その真摯な眼差しに満足したようにゼロは頷くと、ボーっと呆けたままの朝比奈に初めて顔を向けた。
その途端、朝比奈は初めて彼らに恐れを抱いた。この部屋に入る前はジェレミアはスパイじゃないかと疑っていた。そして入ってからは黒の騎士団よりゼロに忠誠を誓っているだけなのだと分かった。しかし今は――
(こいつら、尋常じゃない……)
何故こうも自分の命をあっさりと投げ捨てられるのか。朝比奈は生きて藤堂の下で刃を振るうのが至福だ。例え彼にその身を疑われたり煙たがられた所で彼の目に付かないところで藤堂を支えたいと朝比奈は考える。しかし、その段階を通り越して死を選ぶとは、己の身すら省みぬ忠義が恐ろしい。日本人とブリタニア人の気質の違いというものもあるのかもしれない。忠義を超えた何か、忠義という言葉では片付けられない何かを朝比奈はジェレミアから覚えた。
「さて朝比奈、まだ疑いを挟む余地はあるかね。彼の忠誠心は見事なものだ。君とて藤堂の靴先を舐められぬだろう? だから言っただろう、彼を疑うことなど無為だと」
ゼロの挑発するような言葉にも朝比奈は反論せず、ただ邪魔したねぇとだけ返してその場を後にした。廊下に荒い靴音が響く。
(おかしい。あれ程日本人を嫌っていたあのジェレミアがあんな……。ゼロは日本人じゃないのか? だとしても日本人を惨殺していたオレンジがああも素直に)
そしてふと思いついた疑惑に足と止める。あまりの馬鹿馬鹿しさに自嘲するが、もしかしたらとも思う、そんな疑念だ。
(ひょっとしてゼロは催眠術を使う……とか。まぁそんな大道芸人みたいな奴がこんな大組織の頭領をできるわけないか)
しかしこれでゼロ派の戦力がどれほどのものになったのかも理解できた。あとで千葉と打ち合わせをして内部に藤堂派をもっと広げていこう。
そう決意を新たにする朝比奈はジェレミアの立ち位置を正確に把握していた。ブリタニアのスパイなどではなく、ゼロの駒。何があってもゼロに付き従う者。
しかし奴がゼロに付き従うならゼロごと排斥するだけだ。そして日本解放戦線の復活を……。
朝比奈はゼロが高笑いを上げる理由がなんとなく分かった気がした。
Written by BAN 0815 08