夢見心地のなかで
飛び出していった彼を、殿下は横目で見送るとその麗しき唇からほぅとため息を漏らした。その芸術品のような見る人の時を止めるかのような美しき仕草に、愚かにも思わず見とれてしまった。
「ジェレミア、あまり煽るな」
「っ! 申し訳ありません、殿下。ナナリー様の居場所に、マリアンヌ様の御子としての立場にあのような嚮団の孤児がいるかと思うと堪え切れず……。二度は申しませぬ故、お許しください」
「ふん、まぁいい」
そのまま腰を落ち着ける殿下に疑問を覚える。殿下は彼にギアスをかけ支配下においているわけではなく、情でもって取り込んでおられると伺った。てっきりフォローに走るものとばかり思っていたのだが。
「宜しいのですか、追い掛けずとも」
「よい。今はお前との時の方が大事だからな」
そのお言葉に全身が燃える様な喜びを覚える。血の通わない身体を手に入れた今になって、この感覚を知るとは何とも皮肉なことか。
思えばブリタニア軍人時代は直接皇族に労っていただくことは勿論、こうして声をかけていただく事などあり得なかった。当時はそれが当然だと思っていたし、まさか今のようにマリアンヌ様の遺児にお仕えできるとは思ってもいなかった。
「光栄です殿下!」
しかし、何故だか殿下は困ったように白く細長い繊細な指で頭をかかれた。
「……ジェレミア卿。その、殿下と言うのやめないか?」
――私は何か不覚をとってしまったのだろうか? くっ、ジェレミア・ゴットバルト何たる不明か! やはり私のように殿下に刃を向け、肉塊を持たぬ者に殿下の騎士を務めるなど無理な事だったのだ。何がナイトオブワンを目指すだ、私にも目指せるなら犬だってナイトオブワンになれるに違いない。
思わず寝そべっていたソファから転がり落ちて床を叩きつける。無理矢理動かしたことでゲフィオン・ディスターバー影響で未だ不調の体が少々軋んだ。だが主君に対して困惑を覚えさせてしまう臣下なぞ、一生ギシギシ言っていればいいのだ。
「落ち着けジェレミア。うっとおしい」
「Yes,your majesty」
呆れたようにも見える殿下の視線ではあるが、その先が私に向いていると思うとそんな冷たい視線も胸を熱くたぎらせる。
ともあれ殿下もおっしゃったので、不毛に床を叩くのは止めて、膝を立ててかしこまった。
「ジェレミア、確かに俺はルルーシュ・ヴィ・ブリタニアではあるが、普段の俺はアッシュフォード学園の学生だし、お前に加入してもらった黒の騎士団ではゼロとしての顔がある。お前が私に忠誠を誓ってくれるのは嬉しいが、できれば殿下という呼び方や……Majestyという応答も控えてもらえまいか?」
そのお言葉に私が受けた衝撃はまさに晴天に響き渡る雷そのものだった。殿下のおっしゃる意味も道理も理解できる。だがそれはまさに私のアイデンティティーを否定されたようで、頭をガツンと殴られたような気がした。事実、体も揺らぎ思わず両手を床についてしまった。
「お……おぉ、私は、私は……! 一体どうすればよろしいのでしょうか、もはや私には何も……うぅ」
「……」
「やはりマリアンヌ様をお守りできなかった私にはルルーシュ様にお仕えできるわけもなかったのです。愚かにも夢を見てしまった私が……浮かれすぎておりました。申し訳ありません殿……ルルーシュ様。以後私はまるで空気のように貴方さまに侍り、間違いが無き様口をつむぐ事をお誓いします」
「……わかった」
「いや! いっそ私をナイトメアフレームと一緒に斑鳩のドックに置いてください! それならば誰と会話をすることもなくルルーシュ様にご迷惑をお掛けすることもないでしょう……どうかルルーシュ様!」
「ええい、うっとおしい! 誰がそんなところに置くか馬鹿! わかったからこれまで通りでいい!」
突然の殿下の怒声に思わず顔を伏せ、また反射的に己の所業を悔いようと手を床に振り上げたところで、殿下のおっしゃった言葉が脳に届いた。勿論殿下の麗しき美声を聞き逃す事はあり得ない。ただ理解するまでに時間がかかっただけの話である。
「これまで通りとおっしゃいますと……殿下とお呼びしても?」
「ああ」
「では! Majestyとお答えしても宜しいのでしょうか!」
「……好きにするがいい。ただし、事情を知らぬものの前では絶対に呼ぶなよ。いいか、絶対だからな!」
「Yes,your majesty!」
……後の殿下に言わせれば、その時の私はまるで犬のようだったそうで、無い筈の尻尾が見えたとまで言わしめた。犬扱いされることに抵抗を覚えないでもなかったが、殿下は猫より犬派らしいので、それはそれでよしとする事にする。
ちなみに私は猫派だ。仕えるべき主そのものである動物を愛さずにいられまい。
Written by BAN 0806 08