幻想のなかで
「ロロ、ジェレミアの事はお前も知っているな? 今日から私の手足となって共に戦ってくれることになった」
「……先程はどうも」
声の調子が意図せず尖るのも仕方ない事だと思う。彼からされた仕打ちを思えば、殴りかからないだけ堪えている方だ。兄さんからは死角になる位置だったことを良いことに、顔をしかめて挨拶というより皮肉を返す。何故か顔に黒っぽい何かが伝った跡があり、疲弊したようにソファーに横たわるその男はこんな姿勢で失礼、と前置きした後「いや、ルルーシュ様の臣下に酷い仕打ちをしたのはこちらだ。あの時は敵対してたとは言え、君やあの女性には悪いことを」と神妙な態度を見せサヨコに対して謝罪したいとまで言ってきた。
「僕は兄さんの臣下ではなく、弟です」
臣下という言葉は嫌だ。僕はもっとそれより兄さんに近い位置・弟なのだから。兄さんも僕を本当の弟だって言ってくれる。資料で見たナナリーに対する態度と同じ様に扱ってくれている。それに僕はナナリーみたいに兄さんの手を煩わせたりしない。僕のほうが兄さんを助けられる、ナナリーよりずっといい弟なのに。
「ああ確か弟という設定で。役になりきるのが上手ですな」
「――ッ! 兄さんは僕を! ……っ」
この男はっ! 本心から言っているのかどうか知らないけど、よくも僕の気に障る事を言ってくれるものだ。先ほどの皮肉のお返しだろうか。でもどうしよう、兄さんのことを咄嗟に出してしまった。こんな下らない言い争いとも言えないことに兄さんを引き合いに出してしまうなんて、兄さんは呆れないだろうか。急に不安になって、背後にいる兄さんを振りむく。どうしよう兄さんが呆れていたら僕は、兄さんを失望させてしまっていたら。――でも。
「……本当の弟のように思っているよロロ。何度も言っているだろう? 一年も寝食を共にしたんだ。そんな相手をいとおしく思えない人間はいないよ」
そして兄さんは僕に優しく微笑みかけてくれた。その笑みは不安、焦り、期待、媚び、そんな混沌とした僕の気持ちを抑えてくれて、余裕すら生みださせた。そうだ、例えこいつが兄さんを皇族として慕おうとも、同じ屋根の下で暮らす僕に敵うわけないじゃないか。
「しかし殿下にイミテーションは似合いませぬ。ナナリー様がいらっしゃらず、寂しいお気持ちは理解出来ますが……」
だけど僕の安堵感は僅かで打ち砕かれた。
イミテーション。ナナリー。その二つの単語がぐるぐると頭を回る。怒りが涌く、そんな次元を通り越して真っ白になった。それこそがいつも僕が考えていた、考えないようにしていた兄さんの……。
思わず機情本部を飛び出してエレベーターへ駆け込んだ。部屋を出てくる時に兄さんの顔を見たかったけど、怖くて出来なかった。ナナリーと言葉に出した時はいつもそうだ。どんな顔をしているのか確かめたくない。苦悩に満ちた顔をしているのか、それとも蕩けるような甘い顔をしているのか、それとも魔人のような憤怒に満ちているのか。
ナナリーが絡んだ時の兄さんは、僕だけの兄さんじゃなくなる。僕はそれが嫌だった。でもナナリーは兄さんの存在意義そのもの。僕が敵うわけない、どうしたって敵わない。たかが一年生活を共にしただけの僕が!
憎い! 僕は兄さんを取り巻く物が憎い! あの女、兄さんから愛を注がれるあの女も僕は憎かった。黒の騎士団の奴らだって、ゼロとしての兄さんを独占している。あの機械の奴は皇族としての兄さんを! どうして兄さんは僕だけのものになってくれないの? ナナリーがいるからなの? 兄さん、兄さん!
「うっ……うぅ……」
堪えきれない嗚咽が口から漏れる。涙は流れないけれど、確かにこれは哀しみの感情。嚮団に居た頃には忘れかけていたけれど、最近とみに思い出す事が増えた。
エレベーターで上った先の図書室の、纏わり付く様な古い紙とインクの匂いが気に障った。気の向くままにフラフラと歩いていくと、何故かルーフトップガーデンに足が向かった。
あの時みんなでやった花火、楽しかったなぁ。あの女もあの時のまま兄さんに危害を加えようなんて考えなければ良かったのに。そうしたら殺すまではしなかった。僕は兄さんを守らないといけないから、あれもしょうがないんだ。兄さんも褒めてくれた、だからいいんだ。僕はこのままでいいんだ。
「僕はこれでいいんだ……」
本当に? 本当にいいの? 兄さんの一番になれないのに、どんなに尽くしても兄さんの一番大事なところはナナリーが占めて僕が入れる場所なんてないのに、それで僕はいいの?
嫌だ、僕は兄さんの一番になりたい。僕だけを見てほしいんだ。ナナリーなんて忘れて僕と二人きりで……。
「兄さん……」
Written by BAN 0804 08